心の雨は心の栄養!
皆さん、こんにちは。らむらむ爺でございます。本日、東京は強い雨が降っておりますが、皆さんいかがお過ごしですか?
雨の日は思うように外で遊ぶこともできないし、気圧の影響でなんとなく身体も重い感じになったりして、ちょっと残念な気持ちにもなったり、憂鬱な気分になるものじゃよね。
しかし、植物達にとって雨は大事な食事の時間でもあります。植物達が雨粒と共に大喜びでダンスしているようにも見えます。これで桜の木達も「今年も綺麗な花を咲き乱れさせてやるぜ!」って感じで、開花のスタンバイOK!
「雨降って地固まる」じゃね。
人生もしかりで、時に心の中が曇ったり雨が降ったりするものじゃよね。しかし、その時は辛いけど「心の雨」も植物同様「人生の綺麗な花」を咲かせるための地固めだったりするものです。
今日はなんとなく気持ちが晴れない人や今日は心の中が悲しみの雨に暮れている人へ。
「それはいつの日か綺麗な花を咲かせるための下準備中なです!」
そんな来たる開花の時に備えて、たまには心の雨を降らせることも時に大事なことじゃと、私らむらむ爺は思う次第でございます。
心の雨は心の栄養です。
そして止まない雨はない。
皆さん、ハブアワンダフルウイークエンド!
今日も生きている!ラッキー!
皆さん、こんばんは!
らむ爺でございます。
皆さんにとって本日は一体どんな一日だったんでしょうね?
「最高の一日だったぜ!」
という人もいれば、
「平凡で退屈な一日だったぜ!」
という人も多いだろうし、
「ロクな一日じゃなかったぜ!」
という人もいるだろうし、中には「今日は○○だから」と、朝から憂鬱になっておられた方もいらっしゃるかと思います。
人生はいろいろと大変じゃよね。
時には自分の思う通りにならないことばかりで疲れる日もあるものだし、時には何の変化もなく退屈な日もあるものです。
しかし、たとえ全然自分の思う通りにならない疲れる一日でも、たとえ毎日何の変化もない退屈な一日でも、実は、
「一日を無事に過ごせただけでラッキー」
なのじゃよね!
私たち人間は、今日も明日も明後日も一年後も二年後も当然元気に生きているつもりでいるが、実は誰も明日確実に生きていけるという保障はない。明日突然病気になって救急車で運ばれることもないとは言い切れないし、天変地異や病気や事故など、明日なんらかの災いに巻き込まれる可能性だってゼロでない。
今日は退屈な一日だったけど、体調だけは良好だった人やご飯だけは美味しく食べられた人や今日は誰とも揉め事がなかった人などなど。たとえ今日は何事もなく平和で退屈な日常を過ごしたとしても、それは、
実はとても「ラッキー」なことなのです!
「今日も無事生きている! ラッキー!」
生きていることに感謝できれば、人生はもっとラッキーだらけになるものです。
皆さん今日もお互いラッキーでしたね!
そして明日もハブアワンダフルデ〜!
今日も沢山の幸せを感じながら生きてゆきましょう!
皆さん、こんにちは。
らむらむ爺でございます。
本日は土曜日。皆さん何をなさる予定ですか?
仕事の方もお休みの方も暇な方もショッピングに行く方も、沢山の幸せを感じながら今日一日をお過ごしくださいませ。
「幸せはいつの時も私たちと共にあります」
それを感じるのか!?感じないのか!?
それはいつでも自分の心持ち次第です。
幸せの種はいついかなる時でも、いついかなるところでも沢山転がっております。そんな小さい幸せの種を感じながら、皆さん本日も良い一日をお過ごしくださいね!
ハブアワンダフルデ〜!
人にやさしく地球にやさしく!
皆さん、おはようございます。
らむらむ爺でございます。本日はちょこっと我々の住まいでもある地球についてお話ししてみたいと思います。ちょっと長くなりますが、
最後まで読んで頂けたら、私らむらむ爺大変嬉しく思います。
我々が住むこの地球は、様々な生物が共存して、自然も美しい、まさに生命で溢れる惑星じゃよね。現在、この地球上では78億人もの人々が暮らしております。ちなみに2000年の人口は約63億人で、1980年の人口は約43億人といった感じで、大雑把に計算すると、10年ごとに約10億人の割合で増加していることになります。
しかし、1900年の産業革命以前までの人口増加は非常に緩やかだったんですよね。紀元前1世紀頃の人口は3億人程度で、そこから1900年かけて約16億人に増加といった感じで、人口推移は非常に緩やかです。それが18世紀後半にイギリスから始まった技術革新による産業構造の変化および経済発展によって、世界人口は急激に増加していくことになるわけです。
ちなみに1970年の人口は約40億人で2021年現在は約78億人。ようするにたかだか約50年で、まるでバブル経済の株価指数のように世界人口は約2倍に増加したことになります。そして現在、この78億人が資本主義経済と共に、無意識のうちに日々地球を汚し、破壊し続けておるわけなんじゃよね。
森林破壊、環境汚染、海洋汚染、地球温暖化、気候変動、海面上昇などなどの影響によって、様々な生命達の家が失われ、様々な生命達が汚染され、また死に絶えていっております。このまま続けば、100年後にはこの地球上に人間がまともに住めない状況が訪れることになるかもしれないとさえ警告されおります。
しかしながら、とりあえず私達の時代はまだ大丈夫でしょう。50年ぐらいはなんとかなるでしょう。だからそれでいいのか? いやいやいいはずがない。なぜなら私達の子供達や孫の世代がその代償を払っていかなければならなくなるのじゃから…。
政府に期待しても何も解決してはくれません。なぜなら資本主義社会においての政治とは利益が最優先であり、また極論を言うと、政治とは富を持つ権力者の操り人形に過ぎないのじゃからね。
ちなみに現在、世界の富の8割を1%の富裕層が独占しているとのこと。なんと、たった62人の大富豪が全世界の半分の富を持っているのじゃよね。これが現在の資本主義社会の現状で、大富豪は贅沢な暮らしをしながら、庶民は重労働と薄給にあえぐ。まるで100年前の奴隷制時代に逆戻りしているかのような状況じゃ。
またこれらの資本主義の恩恵を受けている富裕層達が今の状況が変わらないように、そしてまた自分に更なる利益が生み出されるよう富の力で政治に大きな影響を及ぼし続けておる。資本主義の利益を第一に考えた時、けして地球の環境が良くなるはずもない。
よって私達1人1人が変わるしかないのです。
今日から私達個人個人ができることをやっていく。ほんの少しのことでいい。1日ひとつ、何かを変えることから始めてみる。たとえば、スーパーの買い物など、近所に行く時は車じゃなくて歩いて行くようにしてみたり、その際、マイバッグを持参するようにしたり、またちょっと暑いぐらいの時には扇子で扇いで暑さを凌いでみるだとか、ちょっと寒い時は1枚洋服を着こんでみたりして無駄に電気を使い過ぎないようにしてみるとか、とにかくこれまで自分がまだやっていなかったことを、小さなことからもう1つ増やしてみるのです。
また牛や豚などの畜産物の消費を減らすことも地球環境の改善に役に立つらしいですね。なぜなら1Kgの牛肉を生産するために必要なトウモロコシは11Kgで、水は約2万リットル必要になるとのこと。その分を食料難に苦しんでいる人々に回すだけで、地球上から飢餓がなくなるとさえ言われております。更には畜産によって起こる様々な環境破壊も問題となっております。
これまでよりちょっと肉食を控えて大豆や野菜を食べるよう心がけてみる。これだけでも地球環境のためになるし、またなんと健康にも良いというダブルな効果があるんじゃよね。
などなど、これまで自分が実践していなかったことを、とりあえず今日からもうひとつだけ心がけて実行するようにしてみるのだ。
1人の力は小さい。しかしそれが78億人の力となれば強大なパワーとなる。ジョンレノンじゃないが、
「Power to the people!」
なのじゃ!
もし私達1人1人が更に何かひとつでも地球環境のこと気にかけるようにすれば、必ずや少しずつ地球の環境も変わっていくものです。
ちょっとイッちゃってる人みたいな物言いになりますが、私達は全て繋がっているのです。この地球で呼吸して日々の食を与えられながら暮らしている。そんな地球の環境が悪化すれば私達も生きてゆけなくなるし、私達が変われば地球環境も変わる。過去から現在、そして未来へと時間は繋がっている。現在の行いが形となって未来へと受け継がれていく。その際、私達は私達の子供達に少しでも美しい環境を受け継がせる義務があると、私らむらむ爺は強く思う次第でございます。
最後にもう1度だけ、
「今日から何かひとつ、小さなことでいいから地球のため、未来の子供達のために始めていきましょう!」
なぜなら未来の地球は、私達が今、どう生きるかで変化するものだから。まだけして遅くはない。自然のため、地球のため、様々な生命のため、そして私達の子供達のために、それぞれが今日から何かを始めていきましょう!
と、なんだか今回は正義感を振りかざしてる偽善者みたいなことを言って申し訳なかったが、これもまた私のひとつの本心です。
皆で繋がって生きてゆきましょう!
皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!
人と自分は違って当然!違うことは個性なのだ!
人間は自分と違う人間を異質と判断して、排除しようとするものじゃよね。最近は特に、人と違うことをよしとしない、という雰囲気がなきにしもあらずな世の中です。
しかし、そもそも人間は一人一人顔や性格が違っているものじゃよね。たとえ双子でもどこかがちょっと違っておるもの。ようするに、
それが「個性」なのじゃよね。
そもそも違う個性の集まりである顔も性格も違う人間を、規格的な人間になるよう強要するから、社会全体に閉塞感が漂うし、息苦しくもなるものじゃよね。
自分らしい花を咲かせられたら、本当はそれだけで美しいのに、無理矢理違う形の花を咲かせなければならないと、変な花が咲いてしまうものです。ひまわりに「薔薇の花を咲かせよ」と言っても無茶な話じゃよね。
SMAPの唄にもありますが、ようするにみんな
「世界にひとつだけの花」
なんじゃよね。
それぞれがそれぞれの花をそれぞれに咲かせたら、それだけで美しい。みんなと一緒じゃなくてもいいじゃないか!
皆さん、今日も自分らしい花を咲かせませう。
ハブアワンダフルデ〜!
何事も自分の付き合い方次第で毒にも薬にもなる!
人間はなにかと「これはいい」「これは悪い」といった具合に善悪を分類してしまうところがあるものじゃ。
たとえばタバコは身体に悪い。チョコレートも砂糖も身体に悪い。仕事もインターネットもやり過ぎると身体にし、最近ではお米や小麦粉まで身体に悪いとまで言われております。
パンやパスタやピザも食べ難い世の中です。
しかし、そもそも毒とは? 薬とは何なのか?
そもそもほとんどのお薬が化学薬品から作られており、ようするに基本は毒なのじゃが、時に偏頭痛を治したり、また時には重大な病気を治癒させてくれたりするものです。
それと同じようにチョコレートだって、ちょっとだけ食べれば、人を幸せな気持ちにさせてくれる。その際、チョコレートや砂糖は毒ではなく、薬になっていると私らむらむ爺は思います。
さらに最近世の中から憎み嫌われておるタバコも、周りに気をつけて、大事な時にちょっと一服すれば、気持ちを落ち着けてくれる作用があるし、アルコールにしても、適量を嗜む程度なら、楽しい気分にさせてくれる。
その際、タバコもアルコールも薬になると私は思うし、仕事も生き甲斐になるし、インターネットも非常に便利じゃ。
しかしそれらの嗜好品を日常的に過剰摂取し続ければ、砂糖は糖尿病にもなるし、タバコは肺癌になるし、アルコールは肝硬変にもなるし、仕事やネットのやり過ぎは精神を病んでしまう場合もあるし、いずれも毒になる。
病院から処方されるお薬も同様で、お医者さんの処方を守って飲んでいるからといって、けして安全ではない。常用し続けていると依存症に陥ることもあるし身体に有害となる。
毒は薬となり、薬は毒にもなる。
全てほ自分の付き合い方次第なのです。
チョコレートも小麦粉も砂糖もタバコもアルコールも仕事もインターネットもテクノロジーも宗教も主義主張も、人間関係も親子関係も、私たちの周りに存在する全てのものは、薬にもなり毒にもなる。○○が悪いと言うのは簡単です。しかし実は○○が悪いのではなく、○○との付き合い方を間違えた自分が悪いのです。
選択肢は全て自分にあり、薬にするのも毒にするのも自分の付き合い方次第なのじゃよね。
何事にも依存し過ぎることなく、良い友達関係を築いていきたいものですね。
皆さんハブアワンダフルデ〜!
人生たまにはのんびり歩いてみよう!
人生とは何かと忙しく生きてしまうものじゃよね。私らむらむ爺もお仕事の打ち合わせや、お友達の家にお招きされた時や、何か買い物に行く時などなど、駅に着くなり周りに目もくれず猪突猛進で目的地に向かって歩いていったりします。
しかしある時、何の用事もなく、のんびりと同じ道を歩いていると、今まで全然気がついてなかった思わぬ景色に気がつきました。
ほぉ〜ここにこんな可愛らしい喫茶店があったんだ〜。はぁ〜立派なお屋敷じゃな〜。へぇ〜この木は梅の木だったんだ〜といった感じに綺麗な花を咲かせる梅の木の前でしばらく立ち止まったりなどなど、あらたな発見がありました。
人生も同様で、気がついたら目的に向かって走り続けたりするものです。
私らむらむ爺は常日頃から
「人生なるだけゆっくり生きていこう」
と心がけながら暮らしてるおるのですが、そんならむらむ爺でさえ、気がつくと頭の中があれこれと忙しくなったりしていることもあります。
「あれもやらなくちゃ。これもやらなくちゃ」「あれもしたいし、これもしたいし」
「あ〜忙しい!」
そんな時人は往々にして、心に余裕がなくなったりするものです。ちょっとしたことでキリキリしたり、勝手にテンパったりする場合もあります。そもそも「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」ですからね。
急ぎ足で歩き続けたり、走り続けると疲れるものです。人生もしかりで、あまり走り続けていると時に疲れてしまいまいます。そこで、
「たまにはのんびりと歩いてみる」
「立ち止まって周りの景色を見渡してみる」
すると、
「これまで見えなかった景色」や
「これまで忘れていた大事なこと」
をふと思い出したりするものです。
「テイクイットイージー」
「人生時にははのんびり歩いてみましょう!」
皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!