便利は不便の始まり?
皆さん、こんにちは。らむらむ爺でございます。ところで最近の世の中は技術革新に伴い、いろいろ便利な世の中になりましたよね。
電車や自動車の発明で遠い場所にも、肉体的疲労感もなく短時間で遠くまで移動できるようになりましたし、また最近ではインターネットやスマートフォンの登場により、カマボコ板のような小さな機械で、世界中が無料で繋がるテレビ電話から、映画や動画、また、ちょっと分からないことがあったら何でも検索しちゃえば答えが分かるという時代になりました。
しかし技術の発展は、気づかぬうちに不便になっていたりもします。
どこでも車や電車で移動できるようになると共に足腰が弱くなってきて人類の体力が全体的に低下してきておりますし、マニュアル車からオートマ車が主流となるに従い、ブレーキとアクセルを踏み間違えた事故も増えました。
また、昔は友達の家の電話番号は全て頭の中に入ってましたが、今やスマホが全て覚えてくれるようになったため、最近では家族の電話番号でさえ覚えていないし、何でも検索すればスグに答えが見つかるので、いちいち覚えてなくても良くなったため、人間の記憶力が全体的に低下し始めているらしいですね。
ようするにテクノロジーの進化に伴い、人間は体力、知力、記憶力など、様々は身体的機能を退化させてしまっている部分もあるものです。
いずれもテクノロジーは、上手に付き合えば便利ですが、便利を当然だと思うようになったり、また便利に依存してしまうと大切な何かを失ってしまう危険性もあるかと思います。
そのうち人間は「AI」に言われるがまま行動するようになり、「AI花子曰く」なんて感じで、AIの言葉が名言になる時代も近かったりするかもしれませんね笑。
テクノロジーはもとより、食事も思想も人間関係も、付き合いが大事!ようするに人生何事もバランスが大事じゃと思います。
何事も依存し過ぎないように気をつけつつ、本日もハブアワンダフルデ〜!
明日は明日の風に吹かれてケセラセラ!
皆さん、こんにちは。らむらむ爺でございます。
ところで人間はいたって先々のことに思いを巡らせ始めると不安になってくるものじゃよね。
明日のことを考えて憂鬱になったり、仕事のことを考えて不安になり、健康のことを考えて不安になり、お金のことを考えて不安になったり…などなど。特に現状が上手くいってない時ほど、人は不安感に襲われやすくなるものだし、自分の未来に対してなんらかの保証や保険が欲しくなってしまうものじゃよね。
しかし、たとえ現状が悪くても、一年後も同じく悪いままなのか!? といえば、そうとも言い切れません。もしかしたら来年の今頃は現在一生懸命に取り組んでいることが実っているかもしれませんし、もしかしたら宝クジでも当たっちゃうかもしれません。
それと同じようにたとえ現状が良かろうが、一年後も同じく良いままなのか!? といったら、そうとも言いきれないものです。たとえ今、株で儲かっていようが、いつ何時、世界的暴落が発生しないとも言いきれない世の中ですし、突然の不運に見舞われないとも言いきれません。
そもそも3年前に今の世の中を予想できた人もおりませんし、ようするに実は誰も自分の未来のことなんて分からないのです。
この世とは流れ行く時と共に刻々と変化してゆくものです。よって昨日と今日は違う日。そもそも全てがまったく同じ日なんてあり得ない。
今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹くものです。
前にも同じようなことを書いてますが、あれこれ考えても、未来のことは分かりませんし、そんな分かりもしないことに思いを巡らせて不安になっていてもバカみたいじゃよね。そもそも自分が思ったようにならないのが至って人生じゃからね。
人生なるようになる。
「ケ・セラ・セラ」じゃよね😊
明日は明日の風に任せて、今日を生きましょう!
一年後の自分がどうなっているのかなど知るよしもありませんが、ひとつだけ揺るぎない真実として、
「私たちは今たしかに生きているのだから!」
考えてもどうにもならないことなど考え過ぎないようにして、たしかに生きている今という風に吹かれてケセラセラ!
皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!
「さようなら」の由来!
皆さん、こんにちは。らむらむ爺でございます。
本日は別れの挨拶として使われる、
「さようなら」
の由来についてお話したいと思います。
「さようなら」を言いかえると、
「左様なら」
ようするに「さようなら」という挨拶は、実は「左様ならば、また明日」
といった感じで江戸時代の頃まで別れる際に使われていた言葉から「また明日」が省略されて、明治時代あたりから「さようなら」となったらしいですね。
まさか「さようなら」の由来が「左様ならば」だなんて。言葉も変化していくものなんですね。
ちなみに「さようなら」と挨拶すると、なんとなくしばらく会えないような気がしますよね。そのせいか、昨今は「さようなら」よりも「またね」や「バイバイ」などの柔らかい言葉が一般的になってきているように思われます。
ということは「さようなら」という言葉もそろそろ廃れて、100年後ぐらいには「またね」あたりが新しい挨拶の言葉となっている可能性もなきにしもあらずってことじゃよね。
この世に存在する全ては時の流れと共に常に形を変え続けていくという意味でもある「諸行無常」という仏語がありますが、言語もまた時の流れと共に少しずつ変化してゆくものなんですね。
ということは、それと同じように自分自身も昨日の自分自身から少し変化した自分自身というわけじゃよね。ようするに今日の自分は昨日とは同じではない、新しい自分というわけです。
人生とはいろいろと大変なこともありますし、たとえ昨日が嫌な一日だったとしても、そんな過去に「さようなら」して、
皆さん本日も時の流れと共に新しく進化した自分としてハブアワンダフルデ〜!
No music no life! No dance no life!
私は音楽が好きです。何のこだわりもなく様々な時代の様々なジャンルの音楽を聴いてきました。
また私はダンスが大好きです。若い頃からクラブやディスコでブイブイ踊ってましたし、旅中もタイの島やらインドのゴアやらで開催される様々なパーティーに参加してはブイブイ踊りまくってきました。世界中から集った旅人達と共にピースフルなバイブスで盛り上がった、タイはチャーン島のニューイヤーパーティーやヒマラヤの裾野で開催されたシヴァカフェのパーティーは、今でも私の心の中の良き思い出であります。ジジイになった今でも、パーティーと聞くと心がワクワクしてきちゃいます。
ちなみに最近はなかなか旅にも出れませんし、野外パーティーも開催されませんし、困ったちゃん状態が続いております。
しかし、そもそも音楽は家に居てもどこでも聴けますし、踊ろうと思えば家の中でも毎日踊れるものです。
ダンスすることは、心と身体の健康を整えるために、とても良いことこの上ありません。
私も部屋の中でたびたびワイフと一緒にダンスすることで、心と身体の健康を整えております。
ちなみに踊ることに年齢や音楽のジャンルは関係ありません。どんな音楽でもどんな不恰好な踊りでも問題なし!盆踊りでもいいし、クラッシックダンスでもいいし、ロックンロールでもいいし、ラジオ体操でもよし!もちろんテクノやトランスでもOK!
ただ自分が好きな音楽に身を委ねながら、好きなように踊るだけで全然OKです。不恰好だろうが、少々リズム感が悪かろうが全然問題ありません。そもそもダンスとは人に評価されるためのものではなく、自分を楽しませるためのものですから。とにかく子供の頃のように心をワクワクさせながら踊ることで、心や身体の中に溜まったダスティーなものが吐き出され、踊った後は心も身体もスキっと整います。
私にとってダンスは一種のヨガやメディテーションみたいなものであります。下手に何時間も座ってメディテーションするよりも、時に10分間のダンスの方が心身をスキッとさせる効果があったりもします。ちょっとした身体の不調や精神的などんより気分など、踊っちゃえば大概す〜っと身体から抜けていくものです。
ようするにらむらむ流ダンシングヨガですね笑😊
私と同世代の方々も若かった頃にはディスコに踊りに行かれていたかと思います。ですので「私はもういい歳をだから」なんてこと言わないで、皆さんもぜひ恥ずかしがらすに、時にはお家ダンスを楽しんでみてください。
ちなみに肩や腰や身体のどこかに不調な部分があったら、その部分を意識しながら踊ってみてください。かりに肩が痛かったら、肩に集中して肩を踊らせるのです。その際、ルールなんてありませんから、あくまでも自分のスタイルで踊ることで、痛みや心の苦しみを解放させる効果もあります。マジでありありでございます!
皆さん、ぜひたまにはフルパワーでブイブイに踊りまくってくださいね😊
No misic no life! No dance no life!
でございます♫♫♫
本日もNo misic no life! No dance no life! ハブアワンダフルエンジョイダンスでございます🙏😊
「ありがとう」と「ごめんなさい」
「ありがとう」「ごめんなさい」
は挨拶の基本じゃよね。
人になにかしてもらったら、感謝の気持ちで、
「ありがとうございます」
とても大切な言葉であり、私が最も好きな日本語でもあります。
しかし、ありがとうは大概の人が素直に言えますが、時と場合によっては意外と、
「ごめんなさい」を言えないこともありますよね。
なぜなら「ごめんなさい」ということは、自分の中になんらかの非を認める行為でもあり、いらぬ自尊心やプライドが邪魔をしてしまうことがあるからじゃね。
あの時、素直に「ごめんなさい」と言えたら簡単に終わっていたことが、その一言が言えなかったがために、時に大事になったりすることもあるものじゃよね。
そんな、つまらないプライドなど捨てて、
「ごめんなさい」
と素直に謝れる自分でありたいものじゃよね。
私の尊敬する「いかりや長介」も、
「ありがとう」
「ごめんなさい」
の言える人間になりなさい。
と、おっしゃっておられますからね。
ということで、本日も「ありがとう」と「ごめんなさい」の気持ちを大切にしながら、ハブアワンダフルデ〜!
みんな今が全盛期!
皆さん、こんにちは。らむらむ爺でございます。
ところで「全盛期」という言葉がありますよね。
「あの人は○年前が全盛期だったよね」
といった感じで、芸能人やスポーツ選手やアーティストなどによく使われる言葉じゃよね。
しかし、これらは全て私たち外野が勝手に言ってるだけで、言われている本人からしたら「大きなお世話だよ」と思っている方もおられるのではないかと思います。
ちなみに私は今年で58歳になりますし、さらに還暦に近づいてきているのですが、常に、
「今が全盛期!」
という気持ちで生きております。
たとえどんなにシワシワになろうとも、たとえどんなに薄毛になろうとも〜♪ と、なんだか山本譲二のみちのくひとり旅みたいになっでしまいましたが、とにかく若い頃に比べて肌の張りがなくなってきてもシワシワの全盛期!たとえ薄毛が気になり始めたとしても薄毛の全盛期!さらにはたとえ記憶力が低下し始めたとしても、忘れっぽ全盛期!
といった具合に、幾つになっても永遠の全盛期スピリッツで生きて行きたいと思っております。
現に若い頃よりはこの世を広い視野で見ることができるようになっただけでも、十分、
「心の全盛期」なわけじゃからね。
若い頃は自分の外側の世界に目を向けていればよかったので、生きることも簡単でしたが、歳を重ねるにつれ、自分自身に目を向けて、自分自身の心や身体と向かい合いながら生きて行かなければならなくなってきますし、社会との付き合いも何ですし、人生もいろいろと難しくなっていくものです。
そんな、生きれば生きるほど簡単ではなくなっていく人生をなんだかんだで生き抜いてきたわけですから、皆さんももちろん「今が全盛期」です!
今が全盛期!そして来年は更なる全盛期!
たとえ誰かに鼻で笑われようが、こんな心意気で本日も生きて参りましょう!
皆さん、昨日より全盛期な本日でハブアワンダフルデ〜!
今日も無事生きている!
皆さん!こんにちは。らむらむ爺でございます😊本日は関東地方は雨模様で寒いですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
ちなみに私は本日も無事生きております。
毎日当然のように生きておりますが、よくよく考えてみると、一歩外に出たら事故に遭う可能性もあるし、流行病も収まっておりませんし、いつ天災に見舞われるのかも分かりませんし、そもそも人間はいつ病気して倒れてしまうのかもよく分かりませんし、とにかくそんな様々な危険性に満ち溢れたこの美しくもあり醜くもある世界で、また優しくもあり残酷でもあるこの世界で、よくもまあ、これまで無事に生きてこられたもんだな〜と思ったりもしております。
以前も同じようなことを書いておりますが、あらためて、
今日も生きている。
実はすごくラッキーなことだと思います。
そんな今まで生きてくることができた自分の幸運に感謝しながら、本日もハブアワンダフルデ〜!