RAMRAMJI’s blog

ハリオ~ム!「らむらむ爺の極楽上手」です。ヨロシクベイべ~!

あまあまあまスピリッツ!

皆さんこんにちは。らむらむ爺でございます。

 

ところで最近の世の中はなにかと善悪や白黒をハッキリさせないと気がすまないところがありますよね。

 

ちょっとメディアを見渡しても、誰かが何らかの失敗をしたら、正義を振りかざしながら寄ってたかってグゥ〜の根もでないぐらい無慈悲に袋叩きにして、しまいには社会から抹殺してまう。
そのくせ子供たちには「イジメは絶対ダメ!」なんてこと言ったところで何の説得力もないですよね。

 

ちなみに、かつてプロレスが毎週金曜日の夜のゴールデンタイムに放映されていたプロレス全盛期に、ドロップキックが当たってないのに倒れちゃったりだとか、ロープに振られて帰ってきたら必殺技を食らうことがわかっているハズなのに、イチイチ戻ってくるレスラーに対して素朴なクエスチョンマークが脳裏を過ぎることもありましたが、昭和の時代はあえて、そんな小さいことよりもレスラー達のファイティングスピリットやドラマ性みたいな部分に熱狂してあげて、その辺の小さいことには「あえて気づかないフリをする」といった優しさみたいな部分があったものじゃよね。 

 

また昭和の時代は、街角のいざこざや喧嘩が今より全然多かったけど、言い争っているところで、どこからともなく「まあまあまあ...」と誰が現れて揉め事を収めてくれたものだし、またたとえ戦闘が開始された際も、ある程度勝ち負けが決まれば、その辺の人が「まあまあまあ...その辺でおヤメなさい」みたいな感じで、丸く収めてくれて、大概は大事に至らずに済んだものです。現代のように、肩が触れてカッとなって殴って殺してしまった、なんてことなど、ほとんどなかったものじゃよね。


ようするに、
「まあまあまあの精神」
じゃね! 

 

もちろん法律を遵守することは大事なことですが、世の中、全て法が正しいとは限りませんし、重箱の隅をつつくように小さな矛盾点を指摘し続けて正義面をしている人の方が、よっぽど木を見て森を見れていなかったりもするものじゃよね。 

 

そもそも割り切れないのが人間の心です。そんな複雑な人間が創り上げた社会だけに、白黒簡単に割り切れるものではありません。

 

誰かが失敗したら「まあまあまあ...」
誰かが怒りに震えていたら「まあまあまあ...」
誰かが落ち込んでいたら「まあまあまあ...」

 

いちいち追いつめない!
そんなこと小さなことイチイチ「まっ、いいじゃないですか!」

 

随分前にいっときだけ「ファジー」なんて言葉が流行ったことがありますが、今だからこそ、あえて、すっかり死語となった「ファジー」な気持ちが大事なんじゃないか?と私らむらむ爺は思うのであります。 

 

俺たちは正義じゃない!

 

皆さん本日もまあまあまあ...
ハブアワンダフルデ〜!
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仏陀曰く「欲望が苦を生みだす」の意味とは?

宗教界の二大巨匠と言えば仏陀とキリストですよね。本日はそんな宗教界の二大巨匠のひとり「仏陀」の教えについて、ちょっと考察してみたいと思います。

 

仏陀曰く「煩悩が苦を生みだす」

 

煩悩とは、ようするに人間が誰しも生まれながらに持つ「心身を乱し悩ませる欲望や執着」のことじゃよね。 

 

「欲望が苦を生みだす」

たしかに言えてますよね。

「あれがしたい、これが欲しい、ああなりたいこうなりたい…」人は誰しも現在よりさらなる高見を求めるものですが、いくら努力しても、いくら頑張っても、それらの欲望が達成されないこともあります。そんな時、心の中に苦しみが生まれるものです。

私らむらむ爺も、今現在ただボ~ッとしているだけで平安な状態なのに、わざわざ「あっ!?時間があるからついでに部屋の片づけでもしよう!」なんてことになって、あれこれ部屋をお片付けしていたら、収拾がつかなくなって自分で勝手に「あー!もう!」なんて気分になって苦しみを生みだしたり…なんてことが多々あります。

そこで仏陀曰く「欲望や執着といった煩悩から自分を解放することが覚りへの道」とおっしゃってるわけなんですが、自分の中から全ての煩悩を消し去るなんて、ちょっと難し過ぎますよね?

そもそも人間は1日2~3回なんらかの食物を摂取し続けなければ死んでまいますし、夜には眠くもなりますし、愛する人と愛の営みも子孫繁栄のために大切なことです。いわゆる食欲性欲睡眠欲、これら人間の3大欲求を自分の中から消し去るなんてことは、ぶっちゃけ不可能じゃよね?

「私はお腹が空きました…しかし食欲も煩悩なので、そんな煩悩に惑わされないために、私はもう何も食べません」 

これではやがて死んでしまいますし、

「眠くなるのも欲望…私はこれからずっと起きてます」

 なんてことにトライしたら数日で頭がテンパってしまうものじゃよね。

 

仏陀さんも随分無茶言いますな!?」って話ですが、これらはあくまでも極論でありまして、仏陀の本意を私らむらむ爺的に解釈しますと、そんな無茶な話ではありません。 

 

この世は「諸行無常」です。ちなみに諸行無常とは「この世に存在する全ての万物は常に変化してゆき、やがては消滅してしまう」というこの世の真理なのですが、そんな諸行無常の世の中において、私たちも老いや死は避けてはとおれません。また、やがて訪れる愛する人との現生での別れ…などなど、深刻に考えてしまうと人生って残酷過ぎますよね。 

 

よって誰もが「なるだけ健康でありたい」「長生きしたい」「もっと若々しくありたい」「そのためにもお金持ちになりたい」などと願うわけですが、いくら抵抗しても年月と共に人間は老化していくものです。これはこの世の法則みたいなものなので、約40年前は少年だった私が今やジジイ界限定の少年になってしまったように、誰も逃れることはできません。 

 

さらには毎日お腹も空くし、毎日ご飯を食べるためにはお金も必要だし、お金を稼ぐためにはなんらかの労働をしなければならないし、安眠するためには快適に眠れるお部屋と寝具なども必要になります。またそのためになるべくお金を稼ぎたと思うものです。 

 

仏陀はそれらを否定しているわけではないと思います。それらの人間が生まれながらにして持ち合わせる様々な煩悩、いわゆる欲望や執着に対して、

 

「心を振り回されない!」「飲み込まれてしまわない!」

 

ことが大事だと言っておられるんだと、私らむらむ爺は解釈しております。

 

人間は欲望と共にあって当然である。あれが欲しい、ああなりたいこうなりたい、ああしたいこうしたい。誰もが願うものです。なぜなら私たちはそもそもそういう創りで生まれてきているのですから。またそもそも仏陀の覚りにしても「生の苦しみから解放されたい」という欲望から始まっているわけですから。しかし、だからと言って、それらの欲望の虜になってしまってはいけない。心を奪われてしまってはいけない。といったことを仏陀は言っておられるんじゃよね。

 

夢や希望は生きる力にもなります。

お金持ちになりたいのなら、お金持ちを目指せばいいし、異性にモテたいならお洒落するのも大いによろしい。ただし人間の欲望には際限がないので、あまり欲張り過ぎると、自分を傷つけたり、人を傷つけたり、強いては地球を傷つけたりすることにもなる。自分の欲望や煩悩に心を支配されることなく、あくまでも視野を広く保ち心のバランスを取りながら、上手に付き合うことが大事なんだと思います。

 

「欲望はたしかに心に苦しみを生みだす。ただし時に生きる希望にもなる」

 

「また欲望は地球環境を破壊してしまう原動力にもなる。ただし世界を救う力にもなる」

 

くれぐれも取り扱いには要注意ということじゃよね。

 

ホントこの世はある意味、いろいろと残酷じゃが、まずはそんな人生にまつわる様々な無慈悲な諸行を受け入れて、またいらぬ欲望に振り回され過ぎないことが、人生を楽に生きてゆくための、ひとつの大事なコツだと私らむらむ爺は思うのであります。

 

皆さん、ハブアワンダフルウイ~クエンド!

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おかげさまと感謝の心!

前回の「太陽の光は万能薬」でもお話ししたのですが、私達は宇宙の絶妙なバランスの上で生かされております。

 

私達人間は自分の力で生きているつもりになっておりますが、太陽の光があって、酸素と水があってこそ生きてゆけるわけじゃよね。


また、心臓が勝手に1分間に約60回心拍運動したり、傷口が勝手に治ったりするなどなど、私達生命は自らの力で生きているのではなく、実は完全に生かされている状態です。
  
宇宙の引力や重力や太陽のお陰で、地球や自然の摂理のお陰で、また仕事仲間や友達や皆さんや様々なテクノロジーのお陰で、私らむらむ爺もこうして暮らしていけております。 

 

私たちは毎日、当然のことのように呼吸したりご飯を食べたり日向ぼっこしたり仕事したり遊んだり泣いたりしながら生きておりますが、全ては私たちがこうして生きてゆける環境があってこそじゃよね。

 

心から「おかげさま」であります。

 

ホント普段は当然のこととして生きておりますが、私が今日もこうして平和に生きていることに対して、たまには心から感謝したいと思います。

 

「こんなロクデナシ野郎な私を今日も住まわせてくれている地球に...」

 

「酸素と水と食物を摂取していれば、勝手に生きていくための作業を続けてくれるこの身体に...」

 

「いつも私の隣に居続けてくれる最愛の妻に...」

 

「この世に産んでくれた父と母に...」

 

「私の心の友たちに...」

 

「私の大切なnote仲間の皆さんに...」

 

「今日もとりあえず大問題が発生していないこの世界に...」

 

その他もろもろに対して、私らむらむ爺はたまには声を大にして、

 

「心からありがとう!」

 

と感謝の言葉を述べさせて頂きたく思います。

 

皆さん、今日も最後まで読んでくださって心からありがとうございます!

本日もハブアワンダフルデ〜!

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太陽の光は万能薬!

 


私達は太陽のお陰で生きております。

 

太陽の熱エネルギーによって海水や地面が暖められて水が蒸発し、水蒸気は雲となり雨となって地上に降り注ぐ。水が地球を循環しているのは太陽エネルギーのお陰なのじゃよね。

 

さらには約38億年前に地球最初の生命が生まれ、後にバクテリアから進化を繰り返し、我々人類誕生に至るまでのプロセスも、全ては太陽エネルギーあってのことじゃ。

 

私達は太陽があるから生きている。もし突然宇宙空間から太陽が消滅してしまったら、我々地球上の生命は瞬時に絶滅してしまうことになる。太陽は我々をこうして毎日生かしてくれている、まさに生命の源なのじゃね。

 

植物は太陽エネルギーのお陰で光合成を繰り返す。ちなみに光合成とは、植物が太陽エネルギーを使って大気中の二酸化炭素と根から栄養を吸収して、酸素と糖類を創り出しながら成長していく行為であり、ようするに植物が光合成を繰り返してくれるお陰で地球上に酸素があるわけで、酸素があるからこそ我々人類がこうして生きてゆけるわけなんじゃよね。

 

ちなみに自然界に生息する様々な動物達も日常の習慣として太陽の光を浴びているが、その理由は、皮膚の雑菌を消毒したり、代謝を活性化させたり、体内でビタミンDを創り出したりなど、全ては身体のためじゃ。

 

 もちろん私達人間も太陽の光を浴びることは健康維持のためにも非常に大事なことです。いくつか例を挙げると、まずは日光を浴びることによって体内でビタミンDを合成することができるのです。ちなみにビタミンDとは、カルシウムのバランスを整えることで骨の健康を維持したり、免疫力を高めたり癌細胞の抑制に効果があると言われております。また週に3回、約15分ほど日光浴をすることで、癌のリスクが減るばかりか、セロトニンの分泌量が増えて記憶力がアップしたり、不眠症が改善されたりうつ病が治ることもあるらしいのじゃよね。

 

ようするに太陽の光は人間を自然のバイブレーションにアジャストさせて、自己治癒力を高めたり、病を治癒させる力まであるわけです。

 

私達現代人は室内で仕事することが多く、日光を浴びる機会が少ないですよね。たしかに最近は強い紫外線を長時間浴びると、皮膚の老化が早まったり、時に皮膚癌になる危険性もあると言われておりますが、時々数分間でも日光を浴びることは、健康維持のためにも非常に大切なことなんですよね。

 

1週間に2回、15分ぐらいでも良い。お日様の光の下でほわ~っとしていると、体内や精神に溜まった様々な疲労感が浄化されているような気持ちになりますよね。実際、ビタミンDも体内合成しているわけだし、骨も新陳代謝もバッチリだし、精神的にも元気が出てくるものです。

皆さんもぜひちょっとした時間にお日様の下でぼお~っとしてみてください。健康に良いし、心も元気になる。

 

太陽の光は万能薬なのです!

 

皆さんハブアワンダフルデ〜!

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ポジティブとネガティブ!

皆さん、こんにちは。らむらむ爺でございます。本日はポジティブとネガティブについてお話ししてみたいと思います。

 

人生は前向きに生きること、いわゆるポジティブに生きることが大事じゃよね。ポジティブな思考は人生を良い方向に歩んでいく力を持っております。現にスポーツ選手や著名人など、いろんな人がポジティブな思考で成功を手にしておられます。

 

しかし、だからといって「常にポジティブでい続けなければならない!」なんてことになると、精神的なバランスが悪くなるものです。

 

なぜならネガティブが存在するからポジティブが存在するのであり、ようするにこの2つはまったく別のものではなく、実は同じひとつの中に存在する対極、いわゆる陰と陽、善と悪、昼と夜みたいなものです。この世は相反する様々な2つの要素、いわゆる「二元性」で出来上がっておるのです。

 

ちなみに一般的にはポジティブは善でネガティブは悪という捉え方をされており、誰もがポジティブには肯定的だがネガティブには否定的といったところがありますよね。しかし、この手の考え方だと、潜在意識の中に存在し続けているネガティブに蓋をし続けることになります。これを1日にたとえるなら「昼はあるけど夜など存在しない!」と言い張っているようなものです。あまりポジティブ思考に固執し過ぎると、常に前向きでないとならなくなるので、時に「私はいつでも大丈夫! アハハハ…」と笑ってるけど、顔が引きつっているなんて事態に見舞われるものです。

 

ここで断っておきますが、私はけしてポジティブな思考を否定しているわけではありません。むしろポジティブに生きることは大事なことだと思っております。しかし、ポジティブな思考は時に自分は正しいと頑なってしまいがちで、自分が認めないネガティブ的な思考に対して否定的だったりもするし、また根拠のない自信と共に「大丈夫大丈夫!」と超えてはいけない境界線を越えてしまい、時に取り返しのつかない事態を招いてしまうこともあるものです。

 

また、それと同じようにネガティブな思考が過ぎると人生がつまらないものになるものじゃよね。しかしその側面で、そんなネガティブな思考があるからこそ、人は時に超えてはいけない危険な場面に飛び込むことを踏みとどまれたりもするものです。

 

私はこれまで様々な国を旅してきましたが、世界には様々な危険な場面に出くわしたりもします。そんな時にポジティブが過ぎると、どこまでも突き進んで後々大変な目に遭ったりもしますが、そこでネガティブな思考が「もしかして危ないんじゃね?」と危険にブレーキをかけてくれて事なきを得たことも多々あります。 

 

ところで、先にも述べましたが、ポジティブな思考で願いを実現させてきた人が大勢おりますよね。ポジティブな思考はたしなに効果があると思います。しかし中にはいくらポジティブに努力しながら頑張って生きても、全然願いが叶わないという人もおられるかと思います。

 

そこで私らむらむ爺は思うのじゃ!

世の中にはポジティブな思考でいい結果を出せる人と、むしろネガティブな思考の方がいい結果を残せる人がいるのではないかと?

 

たとえば宗教界の二大巨匠といえばキリストと仏陀ですが、キリスト教は「キリストの教えを守っていれば天国に行ける」というポジティブなスタイルですが、仏陀の仏教は「この世は無常…人生は苦…」といった感じで、ネガティブな思考を基本としております。そもそもかつて釈迦族の王だった仏陀は「王である自分もやがて死にゆく定め…」という事実を知り、愕然としてしまい、やがて全てを捨てて覚りを見つけるための旅に出た。という究極のネガティブ思考から始まっているのです。また、ちょっと話はズレるかもしれませんが、アメリカの宝クジで高額当選した人の中には、職を失って落ち込んでいる時に、先日買ったポケットの中のロト券を思い出し「どうせハズれてるよ…」と完全に諦めモードで一応番号をチェックしてみたら、なんと1等に当選していたなんて話もあるのじゃよね。

 

人間にはいろんなタイプがあります。よって、これまで「私はできる!」と何事かにポジティブな思考で挑んでも全然結果が出なかった人は、1度「ダメでもともとだよ」みたいなネガティブな姿勢で挑んでみることで、時に良い結果が出ることもあるんじゃないかと私らむらむ爺は思ったりするわけなんじゃよね。

 

ということでちょっと話はズレましたが、

 

「ポジティブな思考で人生を良くしてく!」 この言葉はある意味正しいと思います。しかしもっと正確にいうと

「ポジティブな思考で時に人生は良い方向に進んでいく。さらにポジティブな思考で時に人生は悪い方向に進む場合もある」

また「ネガティブな思考は人生を悪い方向に進めていく。さらにネガティブな思考は時に人生を良い方向に進めていくこともある」

 

これでようやく全体を捉えたことになるのじゃよね。

 

仏陀曰く「何事にも偏ることなく、常に中道で生きる」これが覚りへの道なんじゃよね。

何事もバランスが大事じゃよね。

 

ポジティブ過ぎることもなく、ネガティブ過ぎることもなく、 

 

「ポジティブでもOKネガティブでもOK」

  

そんなことはどちらも普通に受け入れて平然としている。何事にも偏り過ぎない。これが人生を気楽に生きていく上でひとつの大切なことだと私らむらむ爺は思うのであります。

 

本日も自分の心に素直になって無理し過ぎないよう生きてゆきましょう。

 

皆さん、ハブアワンダフルデ~!

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散歩の達人オススメの散歩道!

私らむらむ爺は散歩が大好きです。

見知らぬ道をあてもなく探索しながら、小さな出会いや、様々な町のバイブレーションに癒される。いわゆる散歩は日常の中の小さな旅でもあります。

 

ちなみに私は散歩のプロと言っても過言ではないぐらい、よく散歩をします。愛する奥さんと2人で1日20キロ以上歩くこともたびたびです。都内の様々な小道を網羅し、新宿御苑から恵比寿まで、新宿や原宿や渋谷といった人ごみに一切巻き込まれることなく、静かな小道や裏路地のみで辿り着くことが出来るほどのサンパーなんじゃよね。

 

そこで今回は散歩の達人でもある私らむらむ爺のオススメ散歩道を紹介してみたいと思います。第1回目は「明治神宮」です。

 

と、散々長い前置きをしておきながら、いきなりベタな明治神宮かよ!?  と思う人もおられるかと思いますが、そこは散歩のプロなので、同じ明治神宮を歩くのも少し違う!

普通、明治神宮に行く際は、原宿駅方面、いわゆる南参道から参拝に向かうのが一般的だが、散歩のプロ的にはその逆の代々木方面、いわゆる北参道から入ることを激しくオススメさせて頂きたく思う次第なのじゃよね。

 

通常、明治神宮と言えば南参道から入って参拝を済ませた後、ふたたび南参道から出るというのが一般的なので、北参道はとても人が少ないのです。

さらには、なんと言っても北参道は生い茂る森が参道に大きくアーチを描き、突然都会の中から異世界に入り込んだような気にさせられると共に、その参道が大変美しくて心も身体も癒されるのじゃよね。  

 

境内を歩くと神聖な空気で次第心が洗われていくような気分になる。例えるならそれはドラクエでHPとMPが全回復する聖なる泉のような感じで「テレテッテ~♪」と元気になるような気がしてくるという効能があるのです。さらには脇道に入ると人気がなくなり、一瞬森の中にでも迷い込んだような気持ちになるし、境内をのんびり歩けば2時間ぐらいは都会の喧騒を忘れて静かな時を過ごすことが出来るんじゃよね。

 

その後は南参道口の目の前が表参道なので、カフェでお茶するもよし。更には右手は代々木公園なので、太陽の下でで寝転がるもよし。と、近隣に様々なくつろげる素敵な場所があるんじゃよね。

 

同じ東京でもその街々でバイブレーションが全然違います。のんびりと歩くことで普段見えない様々なことが見えてきたりもするものです。人生もしかりで、時にのんびり歩くことで、普段走っていては見えない様々なことが見えてきたりもします。そんな心の原点に立ち返ることが出来る。まあ、ある種のメディテーションとでも言いますか、それが、いわゆる北参道散歩道なんですね。

 

皆さん、本日もハブアワンダフルデ〜!

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心と身体の関係性?頑張らないこともまた大事なり!

皆さんこんばんは。らむらむ爺でございます。皆さん、今日も元気に過ごすことができましたか?人生はいろいろと大変なことも多いので、一日活動すると、すっかり疲れ果ててしまうこともあるもんじゃよね。

 

心か無理し過ぎると、身体からなんらかの不調なサインが出ますし、身体を無理し過ぎた場合も心からなんらかの不調なサインが発せられるものです。そして、これからのサインをぶっちぎって生きていると、人間はなんらかの病を発症させてしまうもの。

            

「心と身体は密接に繋がっているものです」

 

私らむらむ爺は約20年以上某雑誌で物書きの仕事に従事しておるのですが、仕事に追われて「ウ〜ン...ウ〜ン...」とない知恵を絞り出しながら無理し過ぎると、やがて身体が痒くなってきて「お主!無理し過ぎておるぞ!そろそろ休憩しろ!」と教えてくれます。そんな時はお仕事のことは一旦置いといて、ゴロンと横になって心と身体を休めるよう心がけると、思わぬアイデアが浮かんで、むしろ先程より仕事がはかどることもあります。

 

人間は各自どこかにウイークポイントがあるものです。それらは、あらかじめDNAに組み込まれている場合もあるし、長年の生活習慣によって弱っている場合もあります。それらは身体にセットされた時限爆弾みたいなもので、身体と心に無理をかけ続けることでタイマーが発動し始めて、異変を知らせてくれたりするものです。

 

人生は何事もバランスが大事です。

 

「頑張ったら、その分お休みする!」

 

「むしろ頑張り過ぎないよう心がける!」

 

これがひとつの健康のコツであり、またむしろ仕事をはかどらせるコツだったりする場合もあると、私らむらむ爺は思う次第でございます。

 

皆さん、本日もお疲れ様でした。今夜はどうかゆ〜っくりとお休みくださいませ。
ハブアワンダフルナイト!

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