らむらむ爺はフロムハート!Always from heart!
皆さんさん、今日も元気に過ごされておりますか?毎度らむらむ爺でございます。
ところで私らむらむ爺は「フロムハート」という言葉を大事に生きております。
「フロムハート」日本語で言えば「心から〜」
という意味じゃよね。
私はいろんな国にブラザー&シスターがおりまして、今でもよくビデオ通話やメールのやり取りをするのですが、その際、最後は必ず、
「lots of love from heart」
「心から沢山の愛を...」
みたいな感じで、必ずフロムハートで締めくくるようにしております。
心の兄弟ですから、時に遠慮なくケンカになったりもしますが、そんな時も、
「Fu○k you from herat!」
「心からバカタレ!」
みたいな感じでフロムハートで怒ったりもします。
人はたびたび、
「こう言えば好感を持たれる」
「こう答えれば尊敬を集められる」
といった頭で計算した言葉を口にします。これらの言葉は耳心地こそ良いですが、フロムハートではなく、フロムブレイン、ようするに頭で考えられた言葉なので、大事な時に本当の意味では心に響かなかったりするものです。
また特に最近の世の中は、怒ったり、泣いたりといったネガティブな感情はよろしくない!という風潮がなきにしもあらずなので、誰もが、より感情を押し殺して、いちいち気を使いながら、頭で考えた言葉を口にせざるおえなくなっている部分もありますよね。
しかし、それで本当に心に響くのでしょうか?
心と心が通じ合うのでしょうか?
また、感情を素直に表現することは、そんなに悪いことなんでしょうか?
私らむらむ爺はそうは思いません。
人間は感情豊かな生き物です。泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜びあったり。そんな感情を素直に表現してこそ、個性が生きるものだと思います。
だからといって、やたらめったら怒り散らかしたり、泣いてばかりいるのもなにですが、いつも怒りや悲しみを我慢して溜め込んでしまうことの方が、よっぽど身体に悪いし、時に突然爆破しちゃって、取り返しのつかない行動を起こしてしまったりするものです。
私が若い頃は電車の中で一人で怒っているおじさんとかを普通によく目にしたものです。かつて電車で酔っ払いながら、
「大学を出たヤツはもっと本を読めー!」
なんて怒っておられるおじさんがいたので、
「おじさん、俺高卒なんだけど、高卒は本読まなくてもいいんですか?俺、結構読書好きなんだけどな〜」
って尋ねたら、おじさんは、
「い、いやいや、訂正訂正!高卒でも本は読んだ方がいい!」
と素直に訂正した後、続けて、
「皆、酒を飲んで〜もっと本音で語りあわないとダメだー!なあ、お兄ちゃん!」
と私に同意を求めてきたので、
「別に酒飲まなくたって本音で語りあえるでしょ? てか、俺酒飲めないんですけど?」と言うと、おじさんはふたたひ、
「い、いやいや訂正訂正!たとえ酒を飲まなくても、もっと本音で〜」
と素直に訂正すると共に、次第周りの人たちもクスクス笑い始めたりして、車内が和気あいあいとした雰囲気になったものです。
それからおじさんとは横浜に着くまで隣同士で人生についてなどのお話しをして、最後は横浜駅で、
「お兄ちゃんみたいな若者に会えて今日は嬉しかったよ!」
と言われて、固い握手をして別れたことがありました。もう30年以上も前の出来事ですが、あのおじさんは今ではたぶん80歳ぐらい?まだ元気に生きておられるのかな?と今でも思い出したりしますし、私はたとえ怒っていても、素直に感情を見せてくれる人の方が人間らしくて好きであります。
それと同じように、もちろん感情を表現することが苦手でクールな雰囲気の人も好きです!
やいジジイ!適当なことばっかり言いやがって、どっちが好きなんだよ?と突っ込まれそうですが、ようするに自分の心に無理させないで、自分の心に素直に生きている人の方が、見ている方も気持ちが良いということじゃよね。
なんだか話が脱線して長くなってしまいましたが、話しをググッと強引に戻しますと、ようするに、
「フロムハート」が大事ということです。
楽しい時もフロムハート!
怒る時もフロムハート!
悲しい時もフロムハート!
愛する時もフロムハート!
落ち込む時だってフロムハート!
「本当に大事なことは魂から放たれた言葉でないと伝わらないし、たとえ不恰好でも魂から放たれた言葉は心に響くものです」
Ramram ji
なんて書き方すると、どこぞの国の偉い人の言葉っぽくないですか笑
皆さん、ゴールデンウィークも自分らしくフロムハートで楽しんでくださいませ!