退屈という幸福!
皆さん、おはようございます😊
本日は週の始まりです。また同じような一週間が始まりますね。
毎日同じ日常の繰り返し。
会社や学校と家の往復という方もいれば
家事と育児に追われる毎日という方もいれば
ただ今充電中という方など、
誰もが同じような毎日を繰り返しながら
暮らしておられるかと思います。
そんな、判で押したような毎日が続くと、時に、
「嗚呼…退屈だな〜」
「嗚呼…毎日つまらないな〜」
と思ってしまうものじゃよね。
ちなみに私も毎日退屈です。
しかし、その際、
「退屈だな〜」と思ったら、続けて
「幸せだな〜」と思うようにしております。
なぜなら、毎日何事もなく平和だからこそ退屈を感じることができる。これがもし戦時中や災害発生時や、まあ、これは極端な言い方でしたが、友達や家族に何かあったり、また自分が病気でもしようものなら、悠長に「嗚呼〜退屈だな〜」なんて言ってる場合じゃないですからね。
本日も退屈な日常に、
「ありがとうございます🙏😊」
そんな感謝の気持ちと共に、
皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!
笑ったほうがいいとも〜!
私がツイッターでジジイ繋がりでお慕いしているとあるじぃ系の先輩が、つい先日、
「自律神経を整える一つの方法は笑うこと」
さあ、今日も笑いましょう。
笑顔で楽しく過ごしましょう。
とツイートされてました。
分かっちゃいるけど、やっぱり時々忘れてしまう「笑う門には福来る」じゃね!
とあるじぃ系の先輩がおっしゃっているとおり、笑うことで自律神経のバランスが整うばかりか、免疫力が活性化したり、脳の働きが良くなったりなど、様々な健康促進の効果があるんじゃよね。
さらには口角も上がって生き生きとしてくるし、周りの人達もハッピーな気持ちにさせるし、ホント「笑う門には福来る」ですよね。
とはいえ、人生とは何かと面倒なことが多いので、笑ったほうがいいとも〜なんてノー天気なこと言われても、笑ってる場合じゃないですよ!なんて時期もあるものです。
ちなみにタモリさんの「笑っていいとも」の前身番組はB&B司会の「笑ってる場合ですよ」だったわけですが、そんなことはどうでもいいとして、中にはず〜っとそれどころじゃなくて、思えばここ何年も腹の底から笑ってないという人もおられるかと思います。
しかし、人生なんて所詮は長く短い魂の旅。
今、現状が大変な人も、
今、自分自身を愛せない人も、とりあえず、
至らない自分やみっともない自分や
つまらぬ人生や思い通りにならない人生を、
たまには笑い飛ばしてやろうじゃないですか!
いつも悩んだり、落ち込んだり、時に迷ったり。そんな自分を「ホントアホなヤツ!」
と笑い飛ばしてやろうじゃないですか!
そうすればグッと気持ちも楽になるものです。
ムスッと過ごしても、笑顔で過ごしても同じ1日。だったらなるだけ笑顔で過ごした方が、心にも余裕が出るし、なにより自分も気持ち良いですし、そうやって日々を過ごした方が先々の人生も良い方向に進んでゆくものじゃ!と私らむらむ爺は思います。
ということで、とあるジイ系の先輩がおっしゃるように、
さあ、今日も笑いましょう😊
笑顔で楽しく過ごしましょう😊😊😊
本日東京は雨模様です。季節の変わり目、くれぐれも体調管理には気をつけて。そして暖かくして風邪対策を怠ることなく首周りを暖かくして、本日もハブアワンダフルデ〜!
足るを知る!足らないを知る!そして当たり前に感謝する!
人間とはないものねだりの生き物だ。
いつの時も自分にないものばかりを求めて、どこか満たされない気持ちで生きているものじゃよね。そして今あるものは全て「当たり前」あって当然といった感じで、感謝の気持ちもない。
私もしかりです。
朝のコーヒーは当然あってしかるべき。
冷暖房も当然あってしかるべき。
温かいお湯のお風呂もあってしかるべき。
三食食べれてしかるべき。
フカフカの布団もあってしかるべき。
といった具合に様々なことを、つい「あって当然」と思って生きております。
ちなみに私はこれまで幾度となく長期に渡る旅をしてきて、時に辺境の地に滞在したこともあるのですが、中には温かいシャワーさえないし、ロクな寝床じゃない宿も多々あるし、朝のコーヒーも飲めないところもある。最悪、電気もない馬小屋みたいな宿もある。
ちなみにこの写真は南インドはゴカルナのハーフムーンビーチにある宿で、電気もなく、部屋の中は毛虫だらけ&たまに布団の上にサソリまで出没する超不衛生かつ汚く危険な宿なのですが、旅をしていると時にこんな宿で寝泊まりせざるおえないこともあります。普通の人なら、タダでも泊まりたくないですよね笑😊
そんな国を1〜2年旅して、久々に日本に戻って来ると、
「あ〜朝のコーヒーってなんて美味しいんだ」
「あ〜フカフカのベッドって、なんて気持ちいいんだ〜」
「お風呂に入れるだけでも幸せだな〜」
なんて感激するのですが、そんな感動も喉元過ぎれば、いつしか「当たり前」のことになり、むしろ「このコーヒーマズ!」「もっと快適な部屋で暮らしたい」みたいな感じで、いつしか不平不満を言い始めたりします。
しかし、今ある当たり前はけして当たり前ではありません。いつしか仕事を失い、路頭に迷えば、朝のコーヒーどころじゃなくなりますし、自分の命もまた、明日も必ず生きていることが当たり前ではありません。
愛する人だっていつも隣に居続けてくれることが当然ではないし、両親や兄弟姉妹が今日も生きてくれていることも当然ではないし、仕事だってあって当然ではないし、いつ何時、自然災害によって突然住まいを失ってしまう可能性だってゼロではありません。
人生「足るを知る」ことが大事ですよね。
ちなみに足るを知るとは、身分相応、今の現状に満足するといった感じの意味です。世の中「金持ちでも満足できない人はできないし、貧乏でも感謝の心を持てば満足できる」ものですからね。
そして私は更にそのもうひとつ上の、
「足らないをも知る」
こともまた大事だと思います。ちなみに足らないをも知るという言葉自体は存在しませんが、私の勝手な見解では「今当然あってしかるべきだと思っていることが、なくなった時の不便さを知り、あらためて今に感謝する」という意味であります。
そしてこうして朝のコーヒーと共に目覚める、何気ない一日の始まりに感謝する。
とりあえず今日はこうして何事もなく平和に生きておられてますが、明日も同じ平和な日が過ごせるとは限らない。
今日も愛する人が隣に居てくれる。
高齢の両親も何事もなく生きてくれている。
ご飯も美味しく頂けたし、布団もフカフカや〜ん!あらためて今ある全てが今日も変わらずあってくれたことに対してフロムハートで感謝する。
孔子曰く、
「足るを知るものが富む」
そこで日々に感謝しながら生きてゆくことで、幸せを沢山感じながら心豊かに生きてゆけるということですね。
「足るを知る」を忘れている時は、いつも何かを求めて、欲深く、どこかギスギスして心が乾いており、傲慢になりがちです。そんな感じで生き続けていると、たとえいつの日かさいわいにも、その欲望を叶えることができたとしても、その頃には続いて次の欲望に振り回されるいるので、延々といつになっても心の平安を感じることはできないものです。
足るを知る!
さらに足らないを知る!
そして当たり前に感謝する!
資本主義社会の中で生きていると忘れがちになりますが、とても大事なことだと私らむらむ爺は激しく思います。
皆さん、本日も当たり前のことに感謝しながら、ハブアワンダフルデ〜🙏😊
諸行無常の人生を生きる!
この世は時と共に変化していく。この世の中の形あるもの全ては、けして永遠に同一性を保持しながら存在し続けることはできないし、全ての存在は常に変化しながら移り変わり、やがて消えてゆくものじゃよね。
それは人も街も社会も国も世界も地球も。そして私もあなたも。
私達は時の中で生きている。それは常に変化の中で生きていることと同じだ。この世に10年前とまったく変わらぬモノなど存在しない。全てが必ずなんらかの形で変化している。究極的に言えば、昨日と今日の中でも全てが見えない形で変化し続けていわけじゃね。
昨日ツイてたから、今日もツイてとは限らない。私達は常にそんな変化の中で対応し続けながら、また時に受け入れながら生きてゆかなければならない。
それがまた人生の難しいところじゃね。
たとえ今、幸せに満たされているとしても、それは永遠には続かない。完全に達観しきった人でもない限り、けして永遠に幸せな時に留まり続けることはできない。人間の心は複雑で、人生とは、そんな単純なものではない。
未来は常に不確かじゃ。しかし、そんな不確かな人生の中で、ひとつだけ確かな未来がある。
それは「死」じゃよね。
例え幸せな人にも不幸な人にも資産家にも貧乏人にも善人にも悪人にも、やがて必ず訪れる。これだけは誰も避けては通れない道であり、我々にとって唯一平等に訪れる確かな未来だ。そしていつその時が訪れるのか、誰も知ることはできない。そして、いざ来たるその時、この世から持ってゆけるものは何もない。
私にもあなたにも、いずれ必ず死が訪れる。
そこの部分を心から実感すると、人生って、なんだか本当はどうでもいいようなことに必死になっていることが沢山あるように思えてくるものじゃよね。そして本当に大切な何かを見失っていることが見えてくるものじゃよね。
私達は限りある時間の中で生きている。だからこそ人生は今が大事だと私らむらむ爺は激しく思うのであります。
皆さん、本日もハブアワンダフルライフ!
心と病の関係性!
人は誰もが健康でありたいと願うものじゃよね。
そのために人は身体になんらかの変調をきたしたら、病院に通ったり、薬を飲んだりすることで、とりあえず健康を回復させようと試みるわけですが、時にそれだけでは根本的な治療にはならなかったりもするものです。
なぜなら身体的病の多くは、食事や生活習慣は勿論のこと、自らの心の状態から生み出されている場合も多く、そんな食生活や心の問題を解決しない限り、同じ病を幾度となく引き起こしかねないからです。
心と身体は密接に繋がりあっている。
心に元気がなくなって精神的に落ち込んだり、イライラしたり思い悩む期間が長くなるにつれ、次第、偏頭痛や胃痛等に苛まれたり、やがて内臓に何らかの疾患が発生したりなど、人は身体に変調をきたしてくるものです。
それをいくら薬で癒しても、時と場合によっては、あくまでもその場しのぎ的な治療に過ぎなかったりもします。
たとえるならそれは、本当はビルの内部の水道管自体に問題があるのに、蛇口のみを修理しているようなもので、非常にとんちんかんだったりする場合もあります。
人は誰もが時折、精神的に優れない時があるものじゃよね。人間関係やら仕事がうまくいかないなど、何らかの理由があって落ち込むこともあるし、また時には別段何があったわけでもないのに、意味もなく気分が優れないことだってあったりするものです。
心は繊細です。
時に自分でも気づかないうちに悲鳴をあげていたりもします。そんな心の状態を無視して鈍感に生活し続けていると、やがて何らかの病を発症させてしまうことにもなりかねません。
それは時に精神的な疾患だったりもします。
精神的な病を回復させるためには、時に長い時間を要することもありますが、心の疾患はあくまでも直接命に関わる病ではありませんので、ある意味まだ早期発見だと言えます。
しかし、そんな精神的な疲労や苦しみをぶっちぎって頑張り続けていると、やがては内臓疾患やら成人病など、肉体に様々な病を発生させるひとつの要因となりかねません。
人間は精神的な苦痛を蓄積し続けると「これ以上はもう無理だ」と脳が身体に指令を送り、自分で病を創り出してしまいます。
自分で自分を病にしてしまうなんて馬鹿げているようにも思えますが、それはある意味、自分で自分を休ませるための無意識的に作動するブレーキでもあります。
ようするに病とは
「無理をするな!」
という身体からのサインなんじゃよね。
心の健康はとても大事です。
現代社会で忙しく暮らしていると、なかなか自分を見つめる機会が少なくなるだけに、気をつけたい問題ですね。
皆さん!本日もハブアワンダフルデ〜!
全ては自分の捉え方次第!
この世は時に輝いて見える。
そしてまた時に、
この世は腐って見える。
心が雲っている時は何を見てもくすんで見えるし、つまらなく感じてしまうものじゃよね。
また反対に、心が晴れている時は目に入る全てが輝いて見えるし、興味深く思えたりするし、心がワクワクするものです。
同じ街の風景を見ているのに、自分の心ひとつで美しくも醜くも見えてしまうものじゃ。
ようするに全ては自分の捉え方次第です。
今、私に見えている世界は、私の心の風景でもあります。
今、世界はどう見えてますか?
本日もハブアワンダフルデ〜!
土壇場こそが魅せどころ!
人間とは、自分が平和で満たさている時は、どうにでも良いことを言えるものです。
たとえば普段は「おおらかで思いやりがあって前向きな」な人が、いざ苦境に陥った時「自己中心的でイライラしたマイナス思考」に陥ったりすることもあるものじゃよね。
人間とは、土壇場で本性が現れるものです! 土壇場こそ人間力の魅せどころです。
そんな土壇場で笑っていられたら、
人生恐るるに足らず!
今は流行病の影響で、多くの人が精神的に、また経済的な土壇場に追い込まれております。ちなみに私も結構危機的な状況ですが…こんな時こそ、
「なんぼのもんじゃい!」と、
笑い飛ばしてやりたいと思います。
人間は死ぬまで生きればいいだけ!
そして今たしかに生きている。
生きてさえいればどうにでもなる!
とりあえず今日のところはそれでよしとしよう。
本日も笑顔と謙虚さを大切にしながら生きてやろうと思います。ハブアワンダフルデ〜!