足るを知る!足らないを知る!そして当たり前に感謝する!
人間とはないものねだりの生き物だ。
いつの時も自分にないものばかりを求めて、どこか満たされない気持ちで生きているものじゃよね。そして今あるものは全て「当たり前」あって当然といった感じで、感謝の気持ちもない。
私もしかりです。
朝のコーヒーは当然あってしかるべき。
冷暖房も当然あってしかるべき。
温かいお湯のお風呂もあってしかるべき。
三食食べれてしかるべき。
フカフカの布団もあってしかるべき。
といった具合に様々なことを、つい「あって当然」と思って生きております。
ちなみに私はこれまで幾度となく長期に渡る旅をしてきて、時に辺境の地に滞在したこともあるのですが、中には温かいシャワーさえないし、ロクな寝床じゃない宿も多々あるし、朝のコーヒーも飲めないところもある。最悪、電気もない馬小屋みたいな宿もある。
ちなみにこの写真は南インドはゴカルナのハーフムーンビーチにある宿で、電気もなく、部屋の中は毛虫だらけ&たまに布団の上にサソリまで出没する超不衛生かつ汚く危険な宿なのですが、旅をしていると時にこんな宿で寝泊まりせざるおえないこともあります。普通の人なら、タダでも泊まりたくないですよね笑😊
そんな国を1〜2年旅して、久々に日本に戻って来ると、
「あ〜朝のコーヒーってなんて美味しいんだ」
「あ〜フカフカのベッドって、なんて気持ちいいんだ〜」
「お風呂に入れるだけでも幸せだな〜」
なんて感激するのですが、そんな感動も喉元過ぎれば、いつしか「当たり前」のことになり、むしろ「このコーヒーマズ!」「もっと快適な部屋で暮らしたい」みたいな感じで、いつしか不平不満を言い始めたりします。
しかし、今ある当たり前はけして当たり前ではありません。いつしか仕事を失い、路頭に迷えば、朝のコーヒーどころじゃなくなりますし、自分の命もまた、明日も必ず生きていることが当たり前ではありません。
愛する人だっていつも隣に居続けてくれることが当然ではないし、両親や兄弟姉妹が今日も生きてくれていることも当然ではないし、仕事だってあって当然ではないし、いつ何時、自然災害によって突然住まいを失ってしまう可能性だってゼロではありません。
人生「足るを知る」ことが大事ですよね。
ちなみに足るを知るとは、身分相応、今の現状に満足するといった感じの意味です。世の中「金持ちでも満足できない人はできないし、貧乏でも感謝の心を持てば満足できる」ものですからね。
そして私は更にそのもうひとつ上の、
「足らないをも知る」
こともまた大事だと思います。ちなみに足らないをも知るという言葉自体は存在しませんが、私の勝手な見解では「今当然あってしかるべきだと思っていることが、なくなった時の不便さを知り、あらためて今に感謝する」という意味であります。
そしてこうして朝のコーヒーと共に目覚める、何気ない一日の始まりに感謝する。
とりあえず今日はこうして何事もなく平和に生きておられてますが、明日も同じ平和な日が過ごせるとは限らない。
今日も愛する人が隣に居てくれる。
高齢の両親も何事もなく生きてくれている。
ご飯も美味しく頂けたし、布団もフカフカや〜ん!あらためて今ある全てが今日も変わらずあってくれたことに対してフロムハートで感謝する。
孔子曰く、
「足るを知るものが富む」
そこで日々に感謝しながら生きてゆくことで、幸せを沢山感じながら心豊かに生きてゆけるということですね。
「足るを知る」を忘れている時は、いつも何かを求めて、欲深く、どこかギスギスして心が乾いており、傲慢になりがちです。そんな感じで生き続けていると、たとえいつの日かさいわいにも、その欲望を叶えることができたとしても、その頃には続いて次の欲望に振り回されるいるので、延々といつになっても心の平安を感じることはできないものです。
足るを知る!
さらに足らないを知る!
そして当たり前に感謝する!
資本主義社会の中で生きていると忘れがちになりますが、とても大事なことだと私らむらむ爺は激しく思います。
皆さん、本日も当たり前のことに感謝しながら、ハブアワンダフルデ〜🙏😊