RAMRAMJI’s blog

ハリオ~ム!「らむらむ爺の極楽上手」です。ヨロシクベイべ~!

旅のお話!インド編!

たまには旅の話でもしてみたいと思います。

 

旅といってもいろんな時代にいろんな国を旅しているので、今回は初インドの時の話しでもしてみたいと思います。ちょっと汚い話もしますので、事前に謝っておきます。ちなみにこれから語るインドはあくまでも私の私感であることを最初に断っておきます。

 

私が初めてインドを旅したのは今から約30年以上前、私がまだ20代の頃だ。既に遠い昔の話だが、初インドの旅は今でも昨日のことのように戦慄的な記憶となって私の心に刻まれている。

当時のインドは発展途上国である。 


現在は経済発展で随分マシになったが、あの頃のインドは度肝を抜かれるほど、日本とは全ての価値観が違い過ぎるぶっ飛んだ国でありました。

 

街は不衛生極まりない。朝は何百人という男達が何の恥ずかしげもなくずらりと線路にまたがって列をなしウンコしながら、こちらをガン見してくるし、街中を牛が練り歩き、病気持ちの野犬がそこら中でウ~ッ…とか唸ってるし、ヤギやら羊やらも普通にいるし、道のいたるところはそれらの糞尿だらけだし、時には真っ裸でポコチンをプラプラさせながら歩いている修行僧はいるし、どこに行ってもハリジャンと呼ばれる最下層の子供達が大勢で私を囲んでは「1ルピー1ルピー」と真っ黒に汚れた手を伸ばしてくるし、黒いテーブルかと思って座ったら、ハエがパ~ッといなくなって実は白いテーブルだったというぐらいハエだらけだし、全ての食べ物がマサラ味だし、外を歩けば人間がいちいち図々しいぐらいあからさまに絡んでくるし、スグにボッタくろうとしてくるし、ウソついても全然悪びれないし、そのくせ神様がどうたらとかウンチクを垂れてくるし、土地と季節によっては気温が50℃近くなるし、とにかく人だらけだし、大勢の人が外で寝てるし、中には死体もあるし、空気は埃っぽいというよりむしろ埃そのものだし、街は茶色く埃かぶってゴミだらけだし、言い方は悪いがぶっちゃけ国全体がスラムみたいな印象でありました。

 

今では経済発展も著しく、これらのイッちゃってる度も約55%程は軽減されておりますが、言い変えると今でもこれらのイッちゃってる状態が45%程残っている。それがインドだ。


なぜにわざわざそんな国を好き好んで旅しなければならないのだろう。最初は私も思いました。日本という安全で清潔で、ある意味型にハマった国からこの国に飛び込むと、完全なるカオスに頭も混乱してくる。 


日本という価値感の中で心を閉じていると、苦痛以外の何ものでもない。しかし、そんな全てを受け入れて、それらのことが普通だと思えるようになった時…
インドに心を開いた時、
インドは突然とてつもなく面白い国になってしまうのである。


たとえば街角のチャイ屋でチャイに蠅が入ったとする。店のオヤジに苦情を言うと、オヤジは「OKOK」なんて笑いながら、おもむろに指を突っ込んで蠅を取り「これでノープロブレム!」なんてことを平気な顔で言い放っちゃったりする。日本であればあり得ない話であるが、当時のインドではむしろそれが常識だったりもする。
蠅の上に今度はオヤジの指である。
日本では考えられないことだが、そもそもこんなに汚いインドで衛生的に…なんてこと言ってても始まらない。

 

そこで、お腹を壊す時は壊すし、死ぬ時は死ぬ。いちいち小さなことを気にして生きていてどうするのだ。今を生きてやろうじゃないか! てか、そもそもインド人達はこんなことやこの環境で普通に健康に生きているではないか。そんな気持ちで覚悟を決めてチャイをグッと飲み干す。すると意外と全然お腹を壊さなかったりするのだ。


また当時のインドの安宿は!?  と言うか今も結構そうだけど、ダニやら南京虫やらがおり、身体中を刺されて苦しんでいる旅人達をたびたび見かけたものだ。そんな汚いベッドマットに寝る行為は抵抗があるものだが、インド人はこれ以上に汚いマットで寝てたりするのに全然虫に刺されなかったりする。そこで全てを受け入れて、むしろ、

「ハリオ~ム。お邪魔します。フレンド今夜はヨロシクね!」という謙虚な気持ちでベッドに横になる。すると快適に眠れる上に、ダニにも南京虫にも全然刺されなかったりするのである。


ちなみに私は幾度となくインドを旅して来たが、これまでほとんどお腹も壊したことがないし、虫にも刺されたことがない。これは一重にインドに心を開いて、抵抗することなく全てを受け入れているからに違いないと思っている。

こうなるとインドがメチャメチャ面白くなってくる。最初は目がギョロっとしていて恐ろしかったり、憎たらしかったりしたインド人が実はもの凄く滑稽で可愛らしく見えてくるのである。

 

現にインド人はもの凄く素直である。

血液型で判断するのもなにだが、インドはB型が全人口の約70%だからなのか、子供のように無邪気で素直だったりするのだ。ようするにウソをつく時は素直にウソつきの顔になるし、楽しい時は空気も読まずに思いきり笑うし、泣きたい時は素直に泣きじゃくったリする。そして次の日はケロッとしているのだ。


たとえば汽車の中で寝てたら、前のインド人が「プギャァ~プギャァァァ…」

と、やたらいびきがうるさかったとする。日本であれば我慢しなければならないところだが、インドならそいつを叩き起こして、
「おい、お前のいびきがうるさ過ぎて寝れねーんだよ!」と文句を言うと「それはゴメンゴメン、チャイでも飲む?」なんて気がついたらチャイを奢ってもらって楽しくお話ししちゃってる展開になったりする。

 

他にも神様のことを偉そうに知ったかしているヤツに「お前は全然分かってない!」みたいなことを言うと、日本なら「なんだと!?」となるが、インドだと「えっ、そうだったの? 教えて先生!」みたいな感じで、むしろ興味を持ってこちらの話を聞いて、更には感心したりしてくれたりもするのだ。

 

ようするに遠慮はしないけど遠慮もいらない。日本のようにいらぬ気を使うこともない。裏も表もない。インドとは何でもありの国であり、またインド人は本当いちいち面白いのである。

そして当時のインドは素晴らしい国でもあった。約30年前の話だが、新聞紙にくるまれたお菓子を食べて、その袋をポイと捨てると、牛や羊が食べる。素焼きのカップに注がれたチャイは、飲んだ後、地面に叩きつけて割れば土に還る。全てが循環しているのだ。ちなみに現在は素焼きのカップはプラスティックに、また新聞紙はビニールにとって代わり、ポイ捨ての習慣だけが残っているので、街のいたるところがゴミだらけだ。さらにはそれらのプラスチックをいたるところで燃やしてしまうという最悪な状況になってしまっているところが非常に残念過ぎるところだ。


またインドにはヨガの行者が沢山いる。ほとんどがな〜んちゃっての偽物なのだが稀に本物もいる、私が初めてインドを旅した時に出会った行者に私はこう訊ねたことがあった。

「私はこれから何をどうして生きたらいい?」と。すると行者はこう応えた。
「何もしなくていい」と。


「人間は何かやっていないと落ち着かないものだ。何かを達成して幸せを感じようとする。しかし、自分の外側の世界に幸せを求めている間は真の心の平安は訪れない。幸せとは自分の心の内側にあるのだ。何もしなくても幸せ。1日ボ~ッと過ごすだけで幸せ。お金や地位など外側の世界に左右されることなく、何もないけど幸せだと思える心でいられるように心がけなさい」と。


30年以上経った今でも私が最も大切にしている教えのひとつです。

 

皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!

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