幸せはなるものではなく感じるもの
人は誰しも「幸せになりたい」と願うものです。将来は素敵な人と一緒になって...とか、将来はお金持ちになって...人は誰しも幸せになるために生きているものじゃよね。
しかし、いざ、素敵な人と結婚したのに...お金持ちになったのに...意外と幸せじゃなかったりもするものです。なぜならそもそも、
「幸せとはなるものではないく、感じるもの」
だから。
ちなみにこの言葉は長渕剛さんの「Captain of the ship」という曲でも歌われていらっしゃるのですが、ようするに「幸せ」とは、お金持ちだろうが、子沢山だろうが貧乏だろうが独りぼっちだろうが、自分の心次第でいつでも感じることができるわけなんじゃよね。
「あ〜今日もいい天気だな〜」
「あ〜ご飯が美味しいな〜」
「あ〜今日も平和だな〜」
幸せとは、いつでもどこでも誰でも感じることができるもの。皆さん、今日も沢山幸せを感じながら生きてゆきませう。
ハブアワンダフルデ〜!
たまにはナマケモノになろう!
生きていると時に無理せざるおえないことがあるものじゃね。時に人のため。時に家族のため。時に愛する人のため。時に名誉のため。時に欲望を満たすため、などなど。日本人は真面目で勤勉なので、頑張っている人がとても多いと思います。
ちなみに私らむらむ爺はこれまで長年に渡って様々な世界を放浪してきたフーテン野郎なのですが、どこの国の人もスキあらば休んでやろうという怠け者ばかりで、旅から戻って来るたびに「日本人ほど頑張って生きている国民はいないな〜」とあらためて感心させられたものです。
しかし時に頑張り過ぎる性質が仇となる場合もあります。本当はお休みしたいけど、会社のために、家族のためにと頑張り過ぎて、時に身体や心を病んでしまう人もおります。
たしかに頑張ることは素晴らしいことです。しかし、それによって心や身体を壊してしまっては元も子もありません。
ところで「ナマケモノ」という動物がおりますが、ナマケモノはほとんど動かないまま一日中木の上でボ〜ッとしている生き物です。食事も葉っぱを数枚食べるだけで、それらを約一か月かけて消化するというのんびり屋さんです。ただしこれには理由があって、どうやら動かないことでエネルギーの消費を防いで、さらには敵に見つからないようにしているという意外と賢い生き物なんのじゃよね。
また、普通の動物なら何者かが自分の縄張りに侵入しようものなら、犬から人間に至るまで仲間を集めて威嚇したり攻撃したりと暴力的になるものじゃが、ナマケモノの場合、ちょっと違う。テリトリーに侵入した別のナマケモノに、ゆ〜っくりと近づいていった後「なんでやねん」みたいな感じで一回軽くツッコミを入れる。すると侵入者が「あっ?」って感じで今更ながら気がついたみたいな顔をしながら、何事もなかったように去っていっちゃうんですね。なんと平和的な動物なんじゃろうね。
ちょっと話が逸れましたが、頑張り過ぎると、身体も心も疲れてしまうものです。
そんな時にはナマケモノのように一日何もしないで「ボ〜ッ」とすることも大事じゃと思います。
「たまにはナマケモノになれ!」
「頑張った分、お休みする」「会社や家族が大事なら、その前に自分を大事に思ってやる」ことがむしろ会社や家族のためになるものじゃと、私らむらむ爺は思うのであります。
安心してください!履いてます!?じゃなくて、安心してください!世界で暮らす多くの人々は我々日本人に比べて、の〜んびりと暮らしております。その分、あまりお金は持ってなかったりもしますが、時間だけはありますから、皆、友達とおしゃべりしたりケンカしたりしながら、人生を楽しそうに過ごしております。
まあ、日本では、人と自分を比べることは、あまりよろしくないと言われておりますし、さらには日本社会の常識では、空気を読まないとあれこれ怒られますが、そもそも「空気は読むものではなく、吸うものなんだよ!」「俺は疲れてんだよ!ガタガタうっせーよ!」ぐらいの意気込みで、たまには反逆の狼煙をあげて、
「ナマケモノ」
になることは、人生にとって大事なことなんじゃないかと思うのであります。
皆さん、たまには思いきり怠けちゃいましょう!本日もハブアワンダフルデ〜!
自分は自分の最強応援団!
人生とは、とても難しいものです。生きていると沢山楽しいこともありますが、どちらかと言えば、むしろ大変なことの方が多かったりするものじゃからね。
毎日仕事しなくちゃならない上に上司からドヤられるは、仕事が思うようにはかどらないは、毎日通勤電車は混んでるは、そしてようやく帰り着いた家で、奥さんが不機嫌だったりしようものなら息つく暇さえなかったりするものです。またそんな奥さんは奥さんで、毎日家族のご飯を作らなくちゃならないは、掃除洗濯しなくちゃならないは、ママ友付き合いは面倒だは、子供は全然言うこときかないは. 旦那は家の中で生きる屍みたいだは...などなど、普通に一日を過ごすだけでも大変だらけです。
その他にも、友人や恋人と心が通じ合わないで哀しい気持ちになったり、理不尽な世の中に怒りをおぼえたり、成功している人を嫉妬してしまったり、自分の気持ちを分かってくれない人にイライラしたりなどなど、感情とは日々揺れ動くものです。
そんな、普通に生きているだけで大変な人生ですから、ちょっと大変なことが多かったりすると、より気持ちも落ち込んだりもします。くら〜い気持ちになったりもします。
「誰も僕のことなど分かってくれない...」
「私は孤独だ...」
「俺はもうダメだ...」
人生とは時に厳しいものです。心が沈んだり落ち込んだりもするし、孤独感に苛まれることだってあるものじゃよね。
しかし!?どんな時もあなたは一人ではない。
なぜなら、
「あなたには常にあなた自身がついている」
からじゃ!?
「なんじゃそれ?」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、ようするに、たとえ自分が世界中から嫌われようが、心が落ち込んでしまおうが、性格が悪くて人が離れていこうが、貧乏になって蜘蛛の子を散らしたように周りから人が去っていこうが、自分自身は常に自分と一緒にいる。けして離れないということじゃね?
私らむらむ爺の説明が頓珍漢なため多大なるご迷惑をおかけして申し訳ないですが、ようするに私が言いたいことは、
「自分は自分の最強の応援団!」
ということなんじゃね。
たとえ友達がいなくなっても、人にウンコ野郎と罵られても、無謀な挑戦を続けるチンパンジーと笑われても、自分だけは自分を応援し続ける。けして裏切らない...。そうあれたら、それだけで素晴らしいではないか。
最も恐ろしいことは、人に信じてもらえなかったり、相手にされないことではなく、自分で自分を信じられなくなった時。大事なことは、何度失敗しても、どんなダメな時でも、
「自分だけは自分を信じ続ける」
ってことなんじゃないかと、私らむらむ爺は思う次第でごさいます。
いついかなる時でも、
「フレーフレーらむらむ爺!」
「がんばれがんばれらむらむ爺!」
といった感じで、自分で自分を応援していこうではないですか!
皆さん、人生はいろいろと大変ですが、今日も自分を応援しながら生きてゆきませう!
ハブアワンダフルデ〜!
なんとかなるさ精神!
生きてゆくってことはいろいろと大変です。毎日3食ご飯も食べなくちゃならないし、それに伴いなんらかの収入を得るための労働を強いられるものじゃね。
また、そんな日々の暮らしの中で、人間関係上や仕事上などで、様々な問題が発生し、時に気分が落ち込んだりもするものじゃね。
まして今はコロナの時代。先が見えない閉塞感で、気持ちも滅入りやすくなります。
わたくしらむらむ爺も現在はコロナの影響もありまして、愛する妻と2人で極貧生活を強いられております。
こんな時期だけに、生きていれば誰もが、時にちょっと気分が滅入ることもあります。しかし一日を、
「落ち込んで過ごすのも、楽しく過ごすのも、同じ一日」
そうであれば、どうせなら楽しく過ごした方がお得ですよね。やることやったあとに、あれこれ考えながら沈んでいても仕方ない。落ち込んで解決するのであれば、少しは落ち込み甲斐もありますが、落ち込んで沈んだところで何も解決しないことを考えていても、一日が勿体ないものじゃよね。
だったら開き直って、
「今日を楽しく過ごす!」
に越したことはないですね!
悩んでも解決しないことを無駄に悩み続けるよりも、一日を楽しく過ごすことを考える。それによって意外と良い解決策も浮かんだりするものじゃと私は思います。
「なんとかなるさ!」
の精神じゃね!
エンジョイトゥデイ!
ハブアワンダフルトゥデイ!
永遠の子供であれ!
人間は誰しも一年一年歳を取っていくものです、それに伴い、様々なことを学びながら、日々大人になっていくものです。
しかしそんな中、どうでもいいことばかり覚えて、時に大事な何かを忘れてしまったりもすることもあるものじゃね。
「子供の頃の無邪気さ」や「少年少女だった頃の青くて純粋で真っ直ぐな気持ち」などなど。
今あなたの中に「幼稚園児だった頃のあなたは生きてますか?」
今あなたの中に「思春期の頃のあなたは生きてますか?」
人は歳を重ねるにつれ社会から大人になることを強要され、それと共にいつしか「あの頃の自分」を忘れてしまったりするものです。
そこで、
「永遠の幼稚園児であれ!」
「永遠の小学生であれ!」
「永遠の思春期であれ!」
「永遠の少年であれ!」
「永遠の少女であれ!」
もちろん学ぶことは大事じゃが、その前にが忘れないこと!」これもまた大事だと思うらむらむ爺でございまする。
皆さん、本日もハブアワンダフルデ〜!
俺たちに明日はない!今しかない!
「諸行無常」という言葉がありますよね。これは仏教用語で「この世に存在する万物の全ては、常に形を変えてゆき、いつしか必ず消滅してしまう」といった意味じゃね。社会システムも建造物も動物も我々人間も、この法則から逃れることはできない。ようするに老化と消滅とは我々人間を含めた万物の宿命なんじゃね。
私達に与えられた時間は有限だ。私達に与えられた残り時間は誰も知る由がないが、人間は普「死」に蓋をして、気がついたら名誉欲や物欲にすっかり心を支配されて生きてしまったりしまったりもする。明日も明後日も、一年後も二年後も当然生きているものだ。という前提に生きておるが、実は誰もが明日確実に生きているという保障はない。そんな何の保障もない一年後や二年後のために、今という時を犠牲にしながら必死に生活せざるおえないこともある。
たしかに一年後や十年後の生活設計も大事だが、先のことばかりにとらわれ過ぎると、不安ばかりが募るものじゃ。「今」と「十年後」比べるなら、やはり今の方が大事じゃ。なぜなら、
誰もが「今」たしかに生きている。
のじゃから。
「俺たちに明日はない」「今しかない!」
のじゃ!
一年後のために今を犠牲にし過ぎて、今という時を楽しめないようなら、たぶん一年後、何かを成し遂げた後にも、次の目標に追われて、人生を楽しめなかったりするものじゃ。
そんなことにならないためにも、まずは、
「今を楽しむ!」
そんな楽しい今を積み重ねてゆけば、自ずと一年後も十年後も楽しい未来になるものです。なぜなら未来とは所詮は今という時を積み重ねた結果なのじゃからね。
皆さん、ハブアワンダフルデ〜!
自分をアホだと自覚すれば気持ちが楽になる
人間は誰もが「自分は賢い」と思っておるものです。しかし、そんな賢いハズの人間が何の自覚もないまま、快適な生活を維持するために、日々地球を汚し続けております。さらには、
「なぜこの世に生まれてきたのか?」
「なぜやがて死にゆく定めなのか?」
「死んだらどうなるのか?」
実は誰も知らない。キリスト曰く「天国」仏陀曰く「輪廻転生」。しかし、これらはあくまでもキリストや仏陀から言い伝えられた知識であり、自分の実体験ではない。世界は広いので、中にはそれらのことを知っておられる賢者もいるかもしれないが、そのほとんどもな〜んちゃってだったりして、実はほとんどの人はこれらについて何も分かっていない。なぜならまだ死んだことがないからじゃね。
他にも「宇宙の果ては?」そもそも「女心」や「男心」さえ、ようわからんのがこの世です。
ようするに私たち人間はアホなのである。そんなアホが賢ぶるから、いろいろと疲れてしまうのじゃ。アホがアホじゃないフリをしながら生きてゆくのは大変じゃ。そこで素直に、
「私はアホである!」
と言ってみよう。すると心がスーッと楽になる。これまでは誰かに「アホ!」と言われようものなら腹のひとつも立ったものじゃが、それは実のところ無意識なところで図星を突かれたからであって、「自分で自分がアホだ」ということを自覚さえしておけば、むしろそこで「正解!」とか言えちゃったりして、全然腹も立たなくなる。と言うか、自分がアホだということを自覚したことで、むしろ自分がちょっとだけ賢くなったような気にさえなれるものじゃ。
自分を賢いと勘違いしている者は時に傲慢にもなるし横暴にもなるが、アホは総じて謙虚になれるものじゃ。また「自分はまだ実は何も知らない」という事実を素直に受け入れて初めて覚りへの道の入口に立てるとも言われておる。
人生はいろいろ大変じゃ。そんな中「自分はアホである」と自覚しておれば、どうでもいいようなプライドもなくなるし、人間関係においてのポジション取りに必死になることもなくなるし、いちいち無駄な問題に心を振り回されずに済むようになるのじゃ。
最後に皆さん。さあ声を揃えて言ってみよう!
「私はアホである!」
今日も気楽に生きてゆきませう!
ハブアワンダフルデー!