RAMRAMJI’s blog

ハリオ~ム!「らむらむ爺の極楽上手」です。ヨロシクベイべ~!

生きていれば、それでよし!

「自分はいったい何やってるんだろう…」
と自己嫌悪になることってありますよね。

 

「よし○○を頑張るぞ!」と思ったけど、思っただけで何もやらないで何日もやり過ごしたり、そもそも何のヤル気自体が全然出なかったり…などなどなど。

 

そんな時、真面目な性格な人ほど「私は毎日何やってんだろー」と自分で自分を責めたり自己否定するものです。私にだってたまにあります。

 

でも、
「生きていればそれでいいじゃないですか!」

 

そんな時、私はそう思うようにしております。

 

そもそも宇宙は私たちでは計り知れないほど広大です。さらには俗に言う「あの世」も存在したり、中には四次元や五次元や八次元まであるとかないとか? ともなれば、広大な宇宙だけにとどまらず、何次元も存在すると言われているこのユニバースは、いったい全体どんだけ広いんだ!という話にもなります。

 

さらには、私たちはなんらかの縁で、そんな広大なる宇宙の中に存在する地球という惑星に生を受けたわけですから、それだけでも実は奇跡的に凄いことでもあります。 

 

まさに私達の魂は今、地球体験旅行中じゃよね。

 

ようするに私たちは今、そんなユニバースの中で、人間として生きている。

 

私はこれだけで上等なんじゃないかと思う次第でございます。 

 

ちょっと話がブッ飛びましたので、話を元に戻しますと、やりたいことを先送りし続けて自己嫌悪になったり、思い通りにならない人生に怒りを覚えたり、他にもヤル気が起きなかったり、人生に疲れたり、人間関係にウンザリなどなど、私たち人間の悩みなど、この広大なユニバースの中では取るに足らないことです。

 

てか、たとえやりたいことを先送りし続けて、やらなくても一応ヤル気があるのなら、いつか始める日も訪れるでしょうし、結局やらなかったとしたら、それは自分にとってそこまで重要ではなかったということでしょうし、別に生まれてくる条件として「一生懸命全力で目標を達成させるために生きなければダメだ」という契約を交わして生まれてきたわけではないのですから、自分をダメだと思う必要などないと私は思います。

 

そもそも「ダメ」の定義は自分たちで勝手に決めているだけであって、ユニバースから「そんなことではダメだぞ」なんて注意された人なんていないわけですからね。

 

よって、いちいち理由なんていらないから、
「生きていれば、それでよし!」

 

生まれきたら、あとは死ぬ日が訪れるまで生きればいい。

 

それが唯一私達に与えられた宿命です。

 

産まれきて生きていれば、とりあえずミッションクリアですよ。

 

今ある様々な悩みや苦しみや焦りや悲しみも、全ては生きているからこそであり、たとえ社会では役立たずだとしても、それはあくまでも人間社会的な価値観に過ぎず、実はその社会で役に立つ行いが、日々地球環境を破壊し続けるひとつの要因となる場合もあったりもするわけですから。

 

ようするに何が正しくて何が間違えている、なんてことは実は簡単には分からないのが、この摩訶不思議な世界なんじゃよね。

 

ということで、ぐだぐた悩んだり落ち込んだりしてないで、本日もとりあえず今の自分を受け入れて、壮大なる地球体験旅行を楽しんで生きてゆきましょう!

 

皆さん、本日もハブアワンダフルデ〜!

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下も向いて歩こう!

上を向いて歩こう
という唄は世界的にも有名な名曲じゃよね。
苦しい時や悲しい時や辛い時などは、この唄のように上を向いて歩くことが大事だと思います。 

 

しかし違う意味で普段から上ばかり見ていると、
「お金持ちになりたい!」
「あいつより成功してみせる!」
「どうせ俺なんて…」
「なんであいつばかりが認められて…」
「こんな世の中ろくでもない」
といった感じで欲望ばかりに心を支配されて、心が悪い方向に向かって殺伐とした気持ちになったり、時に卑屈にもなるものじゃよね。

 

そんな時は上ではなく、ただひたすら前を向いて進めば良いと私は思います。

 

また今の世の中は学校教育からして、
「人生、上を目指すべし!」
みたいな風潮ですが、元来へそ曲がりか私は時に上ばかり目指し続ける人生も「なんだか首が痛くなりそうな」と思う次第でございます。

なぜなら世界には「下には下がある」からです。


上だの下だの、ちょっと言葉の使い方にご無礼があるかもしれませんが、ようするに世界では私達の日常生活からは想像もできないぐらい「過酷な状況で生きている人」も沢山いるからです。 

 

ちょっと偽善的な言い方になりますが、現に日本でもコロナ禍の影響で仕事を失い、極貧生活を強いられている方々が沢山おられます。
また、世界では今日の食い扶持にも困っている人達が沢山おりますし、餓死している人たちもおります。また世界のどこかでは理不尽な迫害を受けている人達も沢山おりますし、年々海に沈んでいく国があるのもまた現実です。 

 

そんな感じで世界を全体的に見渡すと、これまで自分がなんて贅沢なことばかりに目を向けていたのかが見えてくるものじゃよね。

 

「上を見るなら下も見る」

 

人生は何事もバランスが大事です。

 

上ばかり見て歩くとつまずくこともあるし、ちゃんと下も見て歩かないとですね。そして世の中を全体的に見ることで歩きやすくもなるし、また自分にとって、人生で本当に大切な何かが見えてくるものです。 

 

皆さん本日も上下左右前後安全を確認して、いざ前に進みながらハブアワンダフルデ〜!
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過ぎてしまえば良き思い出!

人生はいろいろと大変なことやイヤなことがあるものですよね。そんな中、実は毎日沢山いいことがあっても、人間は結局ひとつのイヤなことの方に心をフォーカスさせてしまうことが多いみたいじゃよね。

 

私も長年生きてきておりますので、人生イヤなことも沢山ありました。 


いろいろ大変なこともありましたし、耐えるしかない時期もありましたし、悲しいこともありましたし、辛いこともありましたし、また同じ毎日を繰り返す日常に飽き飽きしたこともあります。

 

しかし、今にして振り返ってみると、
過ぎてしまえば良き思い出となっております。

思い出は美しいものです。

 

何事も過去として振り返る心の余裕ができる時期が来れば…あの頃のあのことを思い出として振り返れるようになれば、大抵のことは美しく見えてくるものです。’ 

 

過去とは、2度と戻って来ないので、なおさら振り返ると愛おしくもなるものです。

 

今大変な人も、日常に辟易している人も、悲しい人も辛い人も、きっと時が過ぎて、今を振り返る時期が訪れた時には、そんな日々もまた美しく思えてくるものだと思います。

 

大概なことは時が解決してくれるものじゃよ。 

ということで、今大変な人も辛い人も退屈な人も幸せいっぱいな人も、いろんな状況の人がおられるかと思いますが、今日という日を生きてやりましょう!

 

ハブアワンダフルデ〜!
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人にやさしく自分にやさしく!

皆さん、こんにちは。最近は秋晴れ続きで毎日心地良いですね。毎度らむらむ爺でございます。

 

ところでブルーハーツの曲に「人にやさしく」
という唄がありますね。
「人にやさしく〜♪してもらえないんだね〜♪
僕が言ってやる!デッカい声で言ってやる♪
頑張れって言ってやる!聞こえるかい?
ガンバレェェェーーー♪」

 

皆さん、人生はなにかと面倒で大変なことも多いですが、私からもひと言。「無理して頑張らなくてもいいから、今日もなるだけぼちぼちと心平和に生きてゆきましょう!」

 

ちなみに人にやさしくあるためには、まず、
「自分がやられて嫌だったことは他人にもやらない」ことだと思います。

 

まあ、私もたまには嫌味のひとつふたつ言っちゃったりもしますが、やっぱり思いやりの心って大事じゃよね。

 

それは自分自身に関してもしかり。
「自分がやられて嫌だったことは自分自身にもやらない」ことが大事だと思います。

 

人にやさしくできても、意外と自分にやさしくできていないことってあるものじゃよね。 

 

本日も人にやさしく自分にもやさしい気持ちで、ハブアワンダフルデ〜!

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考える力と感じる力!

人間には右脳と左脳がありますよね。

 

右脳とは主に直感力や全体を見る空間認識力や芸術性に優れている感性や感覚を司る機能であり、左脳とは主に言語力や計算力や分析力に優れている思考や論理を司る機能と言われております。

 

まあ、簡単に言うと、
右脳は感じる力、
左脳は考える力じゃよね。

 

ちなみに今の世の中は考える力を司る左脳中心の社会となっており、感じる力を司る右脳の力が弱くなってきている部分があるように思えます。

 

考える力は経済や科学技術といった社会の発展に欠かすことのできない大切な力ですが、こればかりが肥大して合理主義的になり過ぎると、法律やモラルや正義の名の下に、社会全体が殺伐として窮屈で暮らし辛くなってしまうように思えます。

 

だからこそ感じる力も大事だと、私らむらむ爺は思うのであります。

 

何事も論理的に考えることは大事ですが、その前に心の中から溢れ出てきた感情もまた押し殺し過ぎることなく大切にしたいものです。

 

皆さん、今日もいろんなことを感じながら生きてゆきましょう。

本日もハブアワンダフルデ〜!

 

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お金では買えないもの!

皆さん、おはようございます。らむらむ爺でございます。

 

資本主義社会はお金の世界じゃよね。
たしかにお金はあった方が便利ですし、私もお金は大事だと思いますが、あまりお金に執着し過ぎるとなにかとお金に翻弄されてしまいますよね。

 

お金は万能ではありません。
この世の中にはお金では買えないものもあります。

 

まずは愛情。
フロムハートの愛情は、けしてお金では買えないものです。無条件の愛や慈悲の愛は心で動くものであり、お金では動きません。 

 

次に時間。
時は金なりの言葉どおり、時間を使ってお金を稼ぐことはできますが、お金で時間は買えませんよね。たとえ仕事上で人の時間を使えても、自分自身の時間はいくらお金で買おうとしても無理。お金持ちも貧乏人も1日は24時間です。

 

そして命。
自分の命は様々な縁が重なって天に与えられたものです。多少の健康はお金でなんとかなる場合もありますが、根本的な命はお金では創れません。また亡くなった命は戻ってこれません。

 

「愛情」「時間」「命」

お金では買えないだけに大切にしたいものです。

 

皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!

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旅のお話!インド編!

たまには旅の話でもしてみたいと思います。

 

旅といってもいろんな時代にいろんな国を旅しているので、今回は初インドの時の話しでもしてみたいと思います。ちょっと汚い話もしますので、事前に謝っておきます。ちなみにこれから語るインドはあくまでも私の私感であることを最初に断っておきます。

 

私が初めてインドを旅したのは今から約30年以上前、私がまだ20代の頃だ。既に遠い昔の話だが、初インドの旅は今でも昨日のことのように戦慄的な記憶となって私の心に刻まれている。

当時のインドは発展途上国である。 


現在は経済発展で随分マシになったが、あの頃のインドは度肝を抜かれるほど、日本とは全ての価値観が違い過ぎるぶっ飛んだ国でありました。

 

街は不衛生極まりない。朝は何百人という男達が何の恥ずかしげもなくずらりと線路にまたがって列をなしウンコしながら、こちらをガン見してくるし、街中を牛が練り歩き、病気持ちの野犬がそこら中でウ~ッ…とか唸ってるし、ヤギやら羊やらも普通にいるし、道のいたるところはそれらの糞尿だらけだし、時には真っ裸でポコチンをプラプラさせながら歩いている修行僧はいるし、どこに行ってもハリジャンと呼ばれる最下層の子供達が大勢で私を囲んでは「1ルピー1ルピー」と真っ黒に汚れた手を伸ばしてくるし、黒いテーブルかと思って座ったら、ハエがパ~ッといなくなって実は白いテーブルだったというぐらいハエだらけだし、全ての食べ物がマサラ味だし、外を歩けば人間がいちいち図々しいぐらいあからさまに絡んでくるし、スグにボッタくろうとしてくるし、ウソついても全然悪びれないし、そのくせ神様がどうたらとかウンチクを垂れてくるし、土地と季節によっては気温が50℃近くなるし、とにかく人だらけだし、大勢の人が外で寝てるし、中には死体もあるし、空気は埃っぽいというよりむしろ埃そのものだし、街は茶色く埃かぶってゴミだらけだし、言い方は悪いがぶっちゃけ国全体がスラムみたいな印象でありました。

 

今では経済発展も著しく、これらのイッちゃってる度も約55%程は軽減されておりますが、言い変えると今でもこれらのイッちゃってる状態が45%程残っている。それがインドだ。


なぜにわざわざそんな国を好き好んで旅しなければならないのだろう。最初は私も思いました。日本という安全で清潔で、ある意味型にハマった国からこの国に飛び込むと、完全なるカオスに頭も混乱してくる。 


日本という価値感の中で心を閉じていると、苦痛以外の何ものでもない。しかし、そんな全てを受け入れて、それらのことが普通だと思えるようになった時…
インドに心を開いた時、
インドは突然とてつもなく面白い国になってしまうのである。


たとえば街角のチャイ屋でチャイに蠅が入ったとする。店のオヤジに苦情を言うと、オヤジは「OKOK」なんて笑いながら、おもむろに指を突っ込んで蠅を取り「これでノープロブレム!」なんてことを平気な顔で言い放っちゃったりする。日本であればあり得ない話であるが、当時のインドではむしろそれが常識だったりもする。
蠅の上に今度はオヤジの指である。
日本では考えられないことだが、そもそもこんなに汚いインドで衛生的に…なんてこと言ってても始まらない。

 

そこで、お腹を壊す時は壊すし、死ぬ時は死ぬ。いちいち小さなことを気にして生きていてどうするのだ。今を生きてやろうじゃないか! てか、そもそもインド人達はこんなことやこの環境で普通に健康に生きているではないか。そんな気持ちで覚悟を決めてチャイをグッと飲み干す。すると意外と全然お腹を壊さなかったりするのだ。


また当時のインドの安宿は!?  と言うか今も結構そうだけど、ダニやら南京虫やらがおり、身体中を刺されて苦しんでいる旅人達をたびたび見かけたものだ。そんな汚いベッドマットに寝る行為は抵抗があるものだが、インド人はこれ以上に汚いマットで寝てたりするのに全然虫に刺されなかったりする。そこで全てを受け入れて、むしろ、

「ハリオ~ム。お邪魔します。フレンド今夜はヨロシクね!」という謙虚な気持ちでベッドに横になる。すると快適に眠れる上に、ダニにも南京虫にも全然刺されなかったりするのである。


ちなみに私は幾度となくインドを旅して来たが、これまでほとんどお腹も壊したことがないし、虫にも刺されたことがない。これは一重にインドに心を開いて、抵抗することなく全てを受け入れているからに違いないと思っている。

こうなるとインドがメチャメチャ面白くなってくる。最初は目がギョロっとしていて恐ろしかったり、憎たらしかったりしたインド人が実はもの凄く滑稽で可愛らしく見えてくるのである。

 

現にインド人はもの凄く素直である。

血液型で判断するのもなにだが、インドはB型が全人口の約70%だからなのか、子供のように無邪気で素直だったりするのだ。ようするにウソをつく時は素直にウソつきの顔になるし、楽しい時は空気も読まずに思いきり笑うし、泣きたい時は素直に泣きじゃくったリする。そして次の日はケロッとしているのだ。


たとえば汽車の中で寝てたら、前のインド人が「プギャァ~プギャァァァ…」

と、やたらいびきがうるさかったとする。日本であれば我慢しなければならないところだが、インドならそいつを叩き起こして、
「おい、お前のいびきがうるさ過ぎて寝れねーんだよ!」と文句を言うと「それはゴメンゴメン、チャイでも飲む?」なんて気がついたらチャイを奢ってもらって楽しくお話ししちゃってる展開になったりする。

 

他にも神様のことを偉そうに知ったかしているヤツに「お前は全然分かってない!」みたいなことを言うと、日本なら「なんだと!?」となるが、インドだと「えっ、そうだったの? 教えて先生!」みたいな感じで、むしろ興味を持ってこちらの話を聞いて、更には感心したりしてくれたりもするのだ。

 

ようするに遠慮はしないけど遠慮もいらない。日本のようにいらぬ気を使うこともない。裏も表もない。インドとは何でもありの国であり、またインド人は本当いちいち面白いのである。

そして当時のインドは素晴らしい国でもあった。約30年前の話だが、新聞紙にくるまれたお菓子を食べて、その袋をポイと捨てると、牛や羊が食べる。素焼きのカップに注がれたチャイは、飲んだ後、地面に叩きつけて割れば土に還る。全てが循環しているのだ。ちなみに現在は素焼きのカップはプラスティックに、また新聞紙はビニールにとって代わり、ポイ捨ての習慣だけが残っているので、街のいたるところがゴミだらけだ。さらにはそれらのプラスチックをいたるところで燃やしてしまうという最悪な状況になってしまっているところが非常に残念過ぎるところだ。


またインドにはヨガの行者が沢山いる。ほとんどがな〜んちゃっての偽物なのだが稀に本物もいる、私が初めてインドを旅した時に出会った行者に私はこう訊ねたことがあった。

「私はこれから何をどうして生きたらいい?」と。すると行者はこう応えた。
「何もしなくていい」と。


「人間は何かやっていないと落ち着かないものだ。何かを達成して幸せを感じようとする。しかし、自分の外側の世界に幸せを求めている間は真の心の平安は訪れない。幸せとは自分の心の内側にあるのだ。何もしなくても幸せ。1日ボ~ッと過ごすだけで幸せ。お金や地位など外側の世界に左右されることなく、何もないけど幸せだと思える心でいられるように心がけなさい」と。


30年以上経った今でも私が最も大切にしている教えのひとつです。

 

皆さん本日もハブアワンダフルデ〜!

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